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2009.06.08

ちいさなちいさな王様

20090604_015 子どもだった頃にはあたり前のように備えていたのに、大人になるにつれて忘れてしまうもの。失ってしまうもの。わたしたちにはたくさんのそういうものがある。中でも、想像力というものは、知識を蓄えれば蓄えるほどに損なわれてしまうもののようだ。幼い頃、雲の上に天上の世界が広がっていると夢見ていたわたしは、もはやいない。妖精や小人が現れることを期待するわたしも、もはやいない。星空を見上げて願い事をするわたしも、もはやいない。けれど、アクセル・ハッケ作、ミヒャエル・ゾーヴァ絵、那須田淳/木本栄共訳『ちいさなちいさな王様』(講談社)には、そんなわたしですらほんのりと夢見心地にさせてくれる物語が展開している。寂しかった心が、ゆっくりとほぐれてゆくような。

 悲しみにとらわれていた<僕>のところにふらりと突然現れるようになった、人差し指サイズの気まぐれな王様。名前を十二月王二世という。ひどく太って、グミベアーを大好物とする王様の世界では、子ども時代が人生のおしまいにあたるらしい。気がついたらベッドにいて、生まれたとき一番体が大きくて、色々なことを知っていて、色々なことができる。けれど、歳をとるにつれて体が小さくなり、色々なことを忘れてゆくという。そして、<僕>にこんなことを言うのだ。“おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日、それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。それに幼いうちは、おまえたちは、知っていることが少ないかわりに、想像の世界がやたら大きいだろう”と。

 確かに王様の言葉の通りだと思う。成長するに従って何かを得る代わりに何かを失ってゆくわたしたちがいる。目を瞑って何かを想像する機会など、少なくなるばかりだ。たくさんの可能性を秘めてこの世界に誕生したわたしたちは、自らその選択肢を狭めて自分をきゅうきゅうに押し込めているような気さえする。もっとこんなこともできたかもしれない。あんなこともできたかもしれない…そんなふうに思うのは、わたしだけではないはずだ。大人になってふと振り返ってみると、失くしてきた様々なものを思い出す。体ばかりが大きくなって、内面は貧しくなっていくようにも感じる。想像すること。それは、様々な可能性を見出すこと。それを見失ったわたしたちに、未来はどう待ち受けているだろう。

 歳をとるにつれて体が小さくなり色々なことを忘れてゆく王様と、歳をとるにつれて体が一定まで大きくなり色々な知識を蓄えてゆくわたしたち。老いてゆくことは、王様の世界のごとく、体が縮み忘れてゆくことにも通ずるけれど、どちらの生き方がいいのかは、安易に語れるものではない。日に日に小さくなってゆく王様はいくら威張り倒していようとも、その存在は儚いものだし、わたしたちの生もまた同じように儚い。それは変わらない。けれど、王様の存在によって、この世界がなにやらまだまだ捨てたものではなく、不思議と奇跡に満ちていることを教えられた気がする。きっとこんな王様のいる世界の方が、断然楽しい。寂しい思いをしている人の心に王様が舞い降りますように。そう願う。

4062083736ちいさなちいさな王様
Axel Hacke Michael Sova 那須田 淳
講談社 1996-10

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