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2009.06.29

とりつくしま

20090627_024 この世を去るということ。つまりは死んでしまうこと。それには数多くの未練や複雑に絡み合う感情が渦巻いている。心残りに思うことは、きっと少なからず誰しもあるのだろう。自分が唐突にいなくなった世界を、少しばかり見てみたい思いだってあるに違いない。残してきた家族、愛する人がどんなふうにその後を暮らすのか。覗き見てみたい気持ちもほんのりあるに違いない。東直子著『とりつくしま』(筑摩書房)は、そんな後悔や心残りのある死んだ人、いわゆるとりつくしまもなく、為すすべをなくした人々に“とりつくしま係”さんが、そっと問いかけるように語りかけて、“とりつくもの”に戻してくれる、という設定の連作短編集。切なくてほろほろきて、じんと胸の奥に響く物語たちである。

 “とりつくもの”といっても、生きている魂のあるものはダメだ。モノにだけとりつくことができる。だからモノとりつくことになる死んでしまった登場人物たちは、大切な家族や愛する人、好きな人などの近くのモノにとりつくことになる。ときには大事にされて、ときには邪険にされて、それでもやがてはあの世に向かってゆっくりと進むしかない。いつまでもとりつくモノでいられるわけではない厳しい現実が待っている。野球のロージン、トリケラトプスのマグカップ、青いジャングルジム、白檀の扇子、名札、日記、マッサージ器、リップクリーム、カメラ、補聴器…と、死んだ人はいろいろなものになる。それぞれに思いを込めて。そこには生きるということの刹那を実感させるドラマがある。

 中でも一番はじめに収録されている「ロージン」の母親は、何とも潔くていい。14歳の息子を残して死んでしまった母親が、野球の試合で使うロージンという、ピッチャーが投げる前に手につける白い粉にとりつく物語だ。粉は試合が進めば進むほどに少しずつなくなってゆく。それでも、ほんの少しでも息子の傍にいることを切望するのだ。消耗品として、もう少しだけ一緒にいたいと。長く一緒にいると、余計に辛い思いをするからと。逝くということを真摯に受け止め、別れを決意するその姿は、母親としても、一人の人間としてもさっぱりしていて気持ちよい。母親としての最後の役目を終えてからさよならする。自分の心を整理する。悲しいことに変わりないけれど、こんなふうに締めくくれたら理想だ。

 また「白檀」も印象深い。16歳にして白檀の香りを放つ書家の先生に魅せられた桃子が、ひたすらに先生を慕い続ける物語だ。弟子にまで上りつめて傍にい続けようと思っていた矢先の死。そして、先生に贈った扇子にとりつくことになるのである。夏が来るたびに先生とふれあえる。それだけでいい、と。静かにひたひたと綴られる桃子の切ない思いは、どこまでも美しく繊細な物語になっている。ひそやかに、さりげなく、尽くすという一人の女性の生き様が、奥ゆかしくもあり、いつまでも心に沁みてくる。誰かをここまで慕い続けること。想い続けること。そして、思い出深い品があることに、羨ましい気持ちになってくる。果たしてわたしには、それほど思い入れのあるものがあるだろうか、と。

4480804072とりつくしま
東 直子
筑摩書房 2007-05-07

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 ≪東直子の本に関する過去記事≫
 ・『薬屋のタバサ』(2009-06-05)


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