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2009.05.22

遠い声 遠い部屋

20090515_4029 子ども時代特有の移ろいやすさと屈折した心理。純真無垢ばかりではいられない、大人に近づきつつあるそんな子ども心を余すところなく描いた、トルーマン・カポーティ著、河野一郎訳『遠い声 遠い部屋』(新潮文庫)。カポーティという人は、本当に子ども心をうまく掬い出す。子どもが意識的に大人に媚びへつらうことも知っているし、その内面が複雑に揺らぐことも良く知っている。大人からしてみれば、嫌な子どもに違いないけれど、この物語の主人公のように親戚をたらいまわしにして放り出された少年は、いやおうなしにそんなすべを身につけてしまったに違いない。美しく幻想的な文体で描かれる魅力溢れる少年の内面は、傷つきやすい少年の鋭い感覚を浮かび上がらせる。

 母親を亡くし、父親探しの旅に出た13歳のジョエルは、アメリカ南部の小さな町を訪れる。父の待つはずのヌーン・シティは辺鄙な町であり、途中お転婆娘のアイダベルらと知り合いながら、なんとかたどり着いたものの、邸には父親の後妻のエイミイとそのいとこであるランドルフ、召使いのミズーリがいるだけで、なかなか父親に会わせてもらえない。父親のことを口に出すたびにはぐらかされてしまうのだった。この邸に潜む謎、そして過去に起きた出来事とはなんなのか…次第に明らかになってゆくほどに、ジョエルの困惑は広がる。そして、ここから逃げ出したい衝動をふつふつとわかせるのだった。置かれた状況。それに抗うほどにジョエルを封じ込めるように壁が立ちはだかる。

 物語にランドルフがナルシスについて語る場面がある。ナルシスはわたしたちの一人に過ぎなかったというのである。鏡がなかったら、わたしたちはどこに自分が自分であるという安心を求めればよいのだろうかと。ナルシスは、たまたま孤独の中で自分の映像を見て、そこにただ一人の離れられぬ恋人を見つけた。そして、彼はこの点において誠実だったただ一人の人間であるという。この鏡の話は、登場人物の孤独をより深い闇の中へと追いやってゆくような気がする。そして、自己愛という名の闇からランドルフだけでなくジョエルの心の闇に潜むもろもろの情念をも映し出す。まるで、子ども時代を振り返るときがきていることを告げるかのように。そのことを痛感させる展開だ。

 けれど、ジョエルは大人になることを徹底的に拒絶し、ナルシスのような誠実さを持って自己愛に踏み出しはじめ、鏡の向こう側に永遠の美しい子どもを幻視することを求める。それは子どもゆえに先鋭化したナルシシズムなのか、それとも彼自身がもともと備えていた性質なのか。痛々しいまでにねじれた自意識は、今後の彼をどう変えてゆくのか。そして、子どものイノセントな部分が必ずしも美しいものではないこともカポーティは余すところなく描き出す。その内に秘めた不気味さや怖さといった部分まで。子ども時代特有の移ろいやすさと屈折した心理。純真無垢ばかりではいられない、大人に近づきつつあるそんな子ども心を思うとき、わたしはただただため息がもれるばかりだ。

4102095020遠い声遠い部屋 (新潮文庫)
河野 一郎
新潮社 1971-07

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 ≪トルーマン・カポーティの本に関する過去記事≫
  『誕生日の子どもたち』(2006-04-28)
  『真夏の航海』(2007-11-11)

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コメント

夜中に突然の訪問をお許し下さい。

たくさんの本を読まれているのですね。

活字は眠くなってしまうのタイプなのですが、最近は本屋さんをぶらりするのが趣味になったので、今度、題名の本を読んでみようと思いました。m(_ _)m

投稿: しげる | 2009.05.26 23:48

しげるさん、コメントありがとうございます。
このブログが本を読むきっかけになってくれたら、
それほど嬉しいことはありません。
またぜひいらしてください。
お待ちしております!

投稿: ましろ(しげるさんへ) | 2009.05.27 06:43

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