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2009.05.06

サレンダー

20090418_012 町を、森を、我がもののように疾走する。どこからか聞こえる人の声や動物の息づかいを感じながら。すーっ息を吸い込んで、吐き出し、全身で町や森を感じるのだ。何も怖いものなどない。何も恐れる必要などない。自由で、強くて、行きたい場所に風のように疾走できるのだ。そんなふうに生きたかった少年アンウェルと正反対の野生児のようなフィニガンの物語である、ソーニャ・ハートネット著、金原瑞人・田中亜希子訳『サレンダー』(河出書房新社)。今まさに20歳の若さで病に侵され死にかけているアンウェルの回想は、現在と過去とを行き来して、“僕は死にかけている…”という印象的なフレーズの意味するところを、そこに至るまでの経緯を、読み手は知ることになる。

 アンウェルの語りとフィニガンの語りとが交互に繰り返される展開の中で、しだいに過去の断片的な記憶がしっかりと繋がってゆく。するするとほどけてゆく。どうしようもなく孤独で悲しみに満ちたアンウェルの独白は、読んでいてとても息苦しい。けれど、その先を知りたいと強く思ってしまう。意志の強さで戦おうとするアンウェルの姿を見守ろうと。アンウェルの最期をしっかり看取ろうと。アンウェルのいた世界は、あまりに残酷である。大人の身勝手に押しつぶされた絶望と暴力に満ち満ちている。そんな中でもアンウェルが必死に生きようともがきあがいていたことは、読み手にほのかな希望を与える。そうして、切実なまでの生への衝動を感じずにはいられないのだった。

 アンウェルのもうひとつの名前、ガブリエル。これは天使の名前からとったもの。天使のようにいいことだけをするように。怒ったり喧嘩したりしないようにと。代わりにフィニガンという少年が悪いことだけをすると誓いを交わしたのだった。“おれたちは向かい合わせになる。ちょうど水辺に立ったときみたいに…”と。そうしてフィニガンは、誰にも何ものにも囚われない。愛犬のサレンダーと共に駆け回るのだ。このフィニガンの登場は、アンウェルの犯した罪によってもたらされたものだったが、自分を辱めた者たちに復讐してくれるような、唯一の心の支えのような存在でもあった。町は連続放火され、混乱するが、アンウェルは知っている。ああ、フィニガンの仕業だな、と。

 アンウェルの救いは、フィニガンだけ。アンウェルの犯した罪は、両親の育児放棄によるものなのにもかかわらず、すべてをアンウェルのせいにして虐待することで、その責任から逃れようとした。町の人々もまた、アンウェル一家を遠巻きにして一線を引いていた。そんな状況下にあって、アンウェルが平常心でいられるはずがない。虐げられた子ども心は、フィニガンという存在をつくりだしてしまった。アンウェルが恋に落ちたときも、彼は大人の手によってさらなる孤独へと追いやられてしまうのである。あまりにも悲痛な物語にくらくらと眩暈を覚えながらも読み進めてしまうのは、アンウェルの最期をしっかり脳裏に刻みたいからだろう。死ぬまで戦い続けるアンウェルの生きた証を。

4309205119サレンダー
金原 瑞人 田中 亜希子
河出書房新社 2008-12-19

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 ≪ソーニャ・ハートネットの本に関する過去記事≫
 ・『小鳥たちが見たもの』(2007-01-14)
 ・『銀のロバ』(2007-01-23)
 ・『木曜日に生まれた子ども』(2007-01-25)


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