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2009.05.21

女の庭

20090515_4003 特別幸福でもなければ、特別不幸でもない…そんな中でふと感じる息苦しさ。息苦しさと呼んでもよいのかどうか迷うほどのささやかな、けれど確かな息苦しさである。けれど、それを覚えた者には、日常は絶望的な息苦しさに満ち満ちたものとなる。いつしかそれに支配されて、内面はひどく揺らぎ出す。心の奥底で。じわりじわりと。そうして、揺らぎ出した思いは、あてもなくさまよい、それでもいやおうなしに続いてゆく日々といつか決着をつけるのだ。鹿島田真希著『女の庭』(河出書房新社)には、女性ならではの感覚で、子どもを持たない専業主婦の孤独が描かれている。何ひとつ不自由のない暮らし。その中にもブラックホールがあるのだと知らしめるように。内へ内へと傾いでゆく主人公内面を追ってゆく。

 優しい夫と暮らす平凡な主婦である女。何も起こらない日常。だからといって、特別不幸というわけじゃない。だからといって、特別幸福というわけでもない。マンションの主婦たちのとりとめもない井戸端会議にもちゃんと参加する。子どもがいないことでの居心地の悪さはあるものの、参加せずに自分のことを噂されるのは嫌なのだ。そして、ベランダで園芸なんかもやってみたりする。主婦の定番というべき昼間のドラマにも夢中になる…そんな生活を堕落していると思いつつも、自分に甘くなってしまう。息がつまるのをこらえながらの日常の中、隣に外国人のナオミが引っ越してきて、心はひどく揺れ動きだす。彼女の孤独にひそやかに寄り添いながら、自分の孤独を慰める日々が続いてゆく。

 一見、どこにでもいそうな女の姿がここにはある。多くの主婦が抱えるだろう孤独も。いくら優しい夫がいても、いくら生活が満たされていても、癒されない気持ちがあるということ。そして、それは第三者にとっては理解しがたいことであるということ。ささいなこと、ちっぽけなこと、けれど切実なこと。一人の人間である前に、一人の女であり、その一人の女の抱える虚しいほどの孤独に寄り添っているうちに、しだいに自分がわからなくなってくる。主人公がナオミに間接的に寄り添う姿は、身勝手な妄想に違いないが、彼女なりの突破口へとつながる。読みながら救われるのは、語りえない悲しみを持ったもの同士が何らかのつながりを見せたとき、人は救われるのだな、ということ。

 表題作のほかに収録されている「嫁入り前」。こちらは鹿島田節炸裂といった照れくさくなる物語。娘姉妹による母親への逆襲とでも言ったらよいのだろうか。姉妹の姉目線で語られる物語は、あっけらかんとしていながらも、かなりどろっとした内情を孕んでいる。恋人は自分とよく似ているけれど自分にはないものを持っている妹とも付き合っているし、姉妹で通うことになる花嫁修業を目的とした教室とやらはとんでもなくあやしい。母親は娘たちからいろんな意味で様々なものを盗んでいる。“語らない女”として生きることを余儀なくされた姉は、“語る女”の妹と手と手を取り合って生きてゆこうとする。人は皆何らかの役割を持って生きているという部分には、頷けるものがあった。

4309019021女の庭
鹿島田 真希
河出書房新社 2009-01-10

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