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2009.05.29

f植物園の巣穴

20090529_037_2 落ちてゆく。夢か現かわからぬ曖昧な世界へ。迷い、呼応し、埋もれた記憶に寄り添いながら、ただただ落ちてゆく。わたしの中に眠る何かを呼び覚ますように。心の深部へ深くただただ落ちてゆく。落ちゆく先にあるものが、何であろうとも構いはしない。もはや気づけばどっぷりと異界へと迷い込んでいることに気づく。漂う静寂を浮遊して迷子になること。その心地よさに浸るようにして読んだ、梨木香歩著『f植物園の巣穴』(朝日新聞出版)。そこに紡がれる日本語の美しさに酔いしれながら、むしゃぶりつくように耽読した。失われていた記憶。それを辿る旅は、あまりにも心地よい異界譚である。ラストが近づくたびに胸の奥がぞわぞわとなったのは、この物語との別れが惜しかったからに違いない。

 歯痛に悩む植物園の園丁の<私>はある日、椋の木の巣穴に落ちる。するとそこは異界であった。前世は犬だった歯医者の家内、ナマズの神主、鳥帽子をかぶった鯉、愛嬌あるカエル小僧、幼き頃漢籍習った儒者、アイルランドの治水神などなどと遭遇し、過去と現在が入り交じった世界で、<私>はゆっくりと浸るようにして記憶を掘り起こしてゆく。そして深く深く落ちながら、怪しくも心地よいまどろみのような感覚に陥るのだった。動植物や地理、人、心の機微を丁寧に豊かに描いてゆきながら、読み手をも異界へとやわらかに誘う。いやいやこれ以上落ちてはいけない。けれど、落ちてしまいたい。落ちるには何らかの理由があるのだろう…そんな葛藤の中で、いつしか物語に呑み込まれている。

 夢とも現ともつかぬような異界で思い起こされる記憶は、一体いつから忘れ去られていたものなのか。寸断された記憶は、別の何かと結びつき繋がって、地盤の揺らいだ上に立つ建物のようだ。果たして<私>の人生は、そんな何の支えもなしにその場しのぎで流れてきたものなのか。そういう危うい中に生きていたのかと思うと、ぞっとする思いがする。記憶というものは、実に不思議なものである。思い出せるということは、完全に忘れ去られたものではないらしいし、少しずつゆっくりではあるけれど繋がってゆくということは、それぞれが自分の中で何らかの意味があるものらしい。残るもの。残らないもの。その線引きを思うとき、失くしてきたいろいろなものを思ってじんと込み上げるものがある。

 物語はやがて、さらなる異界の深部へと進み、再生のイメージが広がってゆく。人は生きる上で、このような異界への旅が必要なのかもしれないとさえ思えるほどに。ときには過去を振り返って、今いる立ち居地を見直して、自分がどうやってここまで歩いてきたのかを確認する。そして、本当に大切なものを、愛しいものを、しっかりと見据えて生きてゆかねばならないのかもしれない。一見、思い出しても何のためにもならないようなささいなことでも、もしかしたらわたしたちにとって重要なことを孕んでいるかもしれないのだ。記憶を侮るなかれ。そうして、自分に都合のよい記憶に甘えるなかれ。真実と向き合うためには、埋もれた記憶にこそ確かな意味があるのかもしれないのだから。

4022505885f植物園の巣穴
梨木 香歩
朝日新聞出版 2009-05-07

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