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2009.04.07

八番筋カウンシル

20090403_022 中学時代に思い描いていた30くらいの歳の自分はどんなだったろうとふと振り返る。中学1年の頃はまだ夢を見ていた。中学2年の頃は夢破れて絶望の中にいたように思う。そして中学3年の頃はもう、人生を諦めていたように思う。30くらいの自分なんて想像することもなかった。思えば中学時代というのは、いろんな意味での分岐点のような気がする。進学した高校でその後の人生が決まってしまうような、自分の限界というものを15にして悟るような、そんな時期でもあると。津村記久子著『八番筋カウンシル』(朝日新聞出版)は、30を前にした登場人物たちがそれぞれの思いを抱えて地元に暮らし、中学時代を思い出しつつ展開する。彼らは地元での様々な問題に翻弄されながらも、己が道を歩いてゆく。

 短くて通りの狭い商店街は、空から見たらY字型をしていて末広がりだから“八番筋”と名づけられ、青年会のことを“カウンシル”呼ぶ。古く寂れた商店街には、巨大モール建設の話が持ち上がり、カウンシルの面々は活気づく。小説の新人賞を受賞したばかりのタケヤスは東京で就職したものの体を壊し、ホカリの店を手伝っている。ホカリは彼女なりに地元の会社に就職するも家族との折り合いが悪く、はやく独立したいと切望している。実家に戻って家業を継ごうか迷っているヨシズミは、タケヤスのよき相談相手である。そんな中、商店街で起きた不幸にして不穏な出来事で町を追われたカジオが、巨大モール建設に関わっているらしいことがわかる。タケヤスは当時の記憶を手繰り寄せはじめる。

 この物語で興味深いのは、地方における地元が色濃く描かれているというところにあるだろう。地元の同級生というものは、高校や大学の同級生や会社の同僚よりも、それぞれが送る人生は多様なのではないか…というのだ。会社にも学校にもいろいろな人がいるけれど、会社の場合は全員が全員会社に雇われて働いているという前提がある。けれど地元で結びついた縁というものは、利害関係で結びついた学校や会社の人間関係よりも多様でわかりにくい面があるのではないかと。嫌々でもご近所さんはご近所さん。そこに住む以上はお付き合いを穏便にしなければならない。とりわけ、地方となればなおさらのことである。30を前にした彼らの視線は冷静で、少し引いた位置から地元を見ているように思う。

 思えば、この物語はどこにでもありそうな地方の商店街の、どこにでもいそうな人々の物語とも言える。現在の視点と中学時代の記憶とが混ざり合う構成は、大人になったからこそ見えてくる真実を浮き彫りにする。15年の時を経て、手繰り寄せられた記憶は、奇妙な後味を残してゆく。それぞれがそれぞれに抱える問題は、時を経てもなお、解決されることはないのかもしれない。けれど、30という節目を前にしたときにそれと向き合う彼らの姿に、どこか励まされる気持ちになる。著者は物語を通して、生き方はひとつじゃないと言っているようにも感じられる。一人でも誰かとでも、どんなふうにも生きられる。人はその未来にまだまだ期待してもよいのだと。絶望するにはまだまだ早いのだよ、と。

402250529X八番筋カウンシル
津村 記久子
朝日新聞出版 2009-02-20

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