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2009.04.11

何もかも憂鬱な夜に

20090410a_010 うごめくような衝動を人は誰しも抱えている。死への衝動、生への衝動、暴力への衝動…さまざまな衝動は通常ならば理性や道徳心などで抑えることができるかもしれないが、ときとして人は過ちを犯してしまう。犯罪者になるか、犯罪者にならないか、その境界線は実に曖昧で、自分の中にそれらに似た衝動を見つけるたびにわたしははっとする。中村文則著『何もかも憂鬱な夜に』(集英社)には、刑務官でありながらある衝動を抱えた人物が主人公である。児童養護施設で育った主人公は、物語の中に何度も挿入される鮮明な記憶に悩まされながら、自殺した友人のこと、大切な恩師のことなどを思い出しつつ、思春期の性や暴力、人の命を奪うことの意味を問いながら、迷い、悩み、死刑囚と接してゆく。

 刑務官の主人公は、夫婦殺しで死刑判決を受けた山井という若者へのこだわりを持っている。彼への判決が当然の結果と思いつつも、多くを語らず控訴しないで執行日を待とうとしていることに苛立ちを隠せない。それは、心のうちに自らも暴力への衝動を抱えていたからである。犯罪の加害者でもなく被害者でもなく、法に定められた刑を執行する側にいる自分の立場に疑問を抱きながら、児童養護施設での恩師の言葉を反芻する。“社会を見返せばいい”“自殺と犯罪は、世界に負けることだ”と。そして、芸術や文化にふれることで孤独感や死への衝動から救い出してくれたことを思う。また、自殺した親友のノートに綴られた足掻きの言葉たちを胸の奥に刻み込む。その青さと苦悩を自分のことのように。

 かつて恩師に救われた自分自身を見つめながら、死刑囚と接する主人公。ときに感情に流されつつも刑務官の主人公は、恩師である施設長のように、父のように、兄のように、山井と接する。“生まれてきたお前の世話を、お前が死刑になるまで、最後までやる。お前の全部を引き受ける”と。象徴的に挿入される水の登場するシーンは、すべてを包み込むようにすら思えてくる。主人公を幼少期から悩ませていた海辺の記憶は、川となり、水滴となり、汗となり、雨となる。雨の降り止まない屋外でのシーンは、すべてを洗い流すようにあたたかく全体を包み込む。すべての混沌を、すべての罪を、すべての者たちの人生を洗い流すかのようでもある。読み手であるわたしたちのことも洗い流すようでもある。

 うごめくような衝動。それは誰しも抱き得る衝動である。けれど、それを思うとき死刑という制度への疑問が頭をかすめる。被害者であったのなら、その遺族であったのなら、感情に任せて死刑を願うかもしれない。けれど、加害者でもなく被害者でもなく、死刑を執行する側の心理を思うとき、複雑な思いが頭から離れない。この物語に描かれる“死刑執行”の場面は、ひどく心を打つ。わたしたちの生きる社会は、この生活は、誰かにその執行を任せた土壌の上に成り立っているのだと、今更ながらに知るのである。誰もがしたくないこと。願わくば、逃れたいこと。わたしたちの多くが避けたがる行為をする人がいて、成り立っている社会に愕然となると同時に、自分自身を恥じ入る気持ちになる。

4087712877何もかも憂鬱な夜に
中村 文則
集英社 2009-03

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