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2009.04.29

瓦経

20090429_024 独特の湿り気を帯びて言葉が纏わりつく。こびりつく。染み入ってくる。視界に。脳裏に。わたしの中に。ここにはじんわりじんわり不可思議な世界へ導いては、夢とうつつを行ったりきたりさせる言葉たちがある。日和聡子著、金井田英津子画『瓦経』(岩波書店)。六篇の短い物語はそれぞれ、特異な言葉の伝達法にのっとっている。“瓦経”とは、平安中期の経典を後世に伝えるために、経文を彫って焼いた瓦の意味があるらしい。その瓦経にちなんだ物語が本書である。Coffee Booksシリーズのうちの一冊である物語には、その世界を広げる幻想的な画が添えられており、その魅力を倍増させている。本文と画が響き合い、お互いを引き立て合っているのである。見事なコラボレーションだと唸らせるつくりだ。

 物語は、なぜか馬になってしまった<私>の醒めた意識の彷徨を描く「摺墨」からはじまる。そして、ある掛軸に纏わる奇妙な話である「掛軸」。娘が父について行って雉子を見る話である「裏白」。唐突に土鳩を差し出される「放生」。半島の岬での危うさ漂う旅路を描く「岬」。異界の怪しさの中で、脈氏に対してひたすら受身である<私>とのどこか隠微で官能的なやり取りを描く表題作「瓦経」へと流れ出す。まるで異界に迷い込んだような、怪しげな賑わいと言葉の命を感じさせるような物語。恐ろしさすら覚えるのは、この物語一篇一篇の持つ、匂いたつような甘美さゆえだろうか。不思議なほど物語にすっぽりと封じ込められてしまったかのように、わたしには感じられた。恐るべき、物語たちである。

 とりわけ表題作「瓦経」のはじまり方は、切ったはずの黒髪が、未だ<私>の背で長々とけぶっている中、はてなといぶかしく思いつつ、道を急いでいる…という印象深いものである。それだけで、ぞっと背筋が寒くなるものの、物語はさらなる異界へと連れ出してくれる。脈氏と<私>とのやりとりは、不可思議そのもので、屋台で河童の干物を2枚買ったかと思うと、脈氏は名前の通りに脈を測ろうとする。言葉の脈までも取り去るように。そして、どこか怪しげな隠微で官能的なやりとりが繰り返されるのである。その刹那。その浮き立つ心。<私>の儚い歓喜…。なんともうっとりしてしまう物語である。眠りの中なのか、異世界へ迷い込んだのか、わからない。わからないからこそ、面白いのである。

 冒頭の「摺墨」も印象的である。“摺墨”という名の名馬の馬となった<私>。その内面をひたすら描いた物語である。どこまでも冷静で、どこまでも落ち着いたその思考は、まるで馬になることが決まっていたかのように思わせる。何故自分は馬になってしまったのか…そう問いつつも、自分が馬であることに疑いようもなく、“とうとう馬になってしまった”と、それを受け止める<私>。そして意識を彷徨させるあたりが面白い。独特の湿り気を帯びたこれらの物語たちが、紡がれた言葉たちが、纏わりつく。こびりつく。染み入ってくる。視界に。脳裏に。わたしの中に。ほら、気がつけば侵食されている。じんわりじんわり不可思議な世界へと誘い、読み手であるわたしはもう、その扉を開けてしまった。

4000281763瓦経 (Coffee Books)
日和 聡子
岩波書店 2009-03

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 ≪日和聡子の本に関する過去記事≫
 ・『火の旅』(2009-02-10)

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