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2009.04.28

闇のオディッセー

20090218_43082 狂気がすぐそばにあることに。たいていの人は気づかないふりをする。自分が闇に足を踏み出さないための一線を心得て。無視を決め込む。そうしてバランスを保って、自分を支えようとする。けれど、ジョルジュ・シムノン著、長島良三訳『闇のオディッセー』(河出書房新社)では、敢えてその闇と立ち向かう主人公を描く。すぐそばに迫りくる恐怖とどこまで自分が戦えるのかを試そうとするみたいに。安らぎとはほど遠い日々。緊迫した時間の流れ。闇に支配された心情をどこまでも深くえぐるその筆致に、読み手はずるずると引き込まれてゆく。いつしか闇に支配されていることに気づいたときにはもう、物語は終焉に向かっている。もはや明日などない。闇にすっかり覆われてしまっているのだから。

 パリの高級住宅地に住む裕福な産婦人科医で大学教授でもあるジャン・シャボは、家族や同僚、仕事や社会的地位に恵まれているように見える49歳の男である。妻公認の愛人もいるほどだったりする。けれど、内実は3人の子どもと妻に裏切られ、母親には疎まれ、妻の実家からは屈辱的な応対をされ、いつか起こすかもしれない医療過誤の恐怖に怯えている。そんな心身ともに深く傷ついた彼は、宿直中に<熊のぬいぐるみ>とひそやかに名づけた若い掃除婦の娘の無邪気さに心奪われ喜びを見出す。けれど、愛人であった秘書に気づかれ、病院を追われた娘はやがてセーヌ川に身投げする。娘の死後、身籠ったまま入水したことを知るシャボ。そして、謎めいた男からの脅迫に追いつめられてゆく。

 ポケットに拳銃をしのばせるようになるシャボ。けれど、とりわけ自殺願望や誰かに殺意を抱いたわけではなかった。だが、ときどき自分に拳銃を向けてみたり青み帯びたそれをさわってみたりすることで、いつでもこの世とおさらばできると言い聞かせて、やり過ごしていたのだった。そんな中、自分にたびたび問いかける場面が登場する。一体自分は何が不満なのだ?何が不足しているというのだ?と。強者である自分、男らしい男である自分、医学部教授である自分、自分の他者に対する役割に疑問を抱くのだった。シャボの問いは、ある意味誰もが日常の中で感じるものなのかもしれない。その大きさには差こそあれ、ふっと迷い込んだ先で思い悩む類のものに違いないと思えるのである。

 思えば、他人の目に映る自分の姿と、自分の内にある目でしっかりと見据えた自分とは、異なるのが当たり前である。著者は、その差に思い悩み、心理的に追いつめられてゆく主人公の内情をしつこいほどに描き出してゆく。一人の人間の本質に迫るように。サスペンスタッチとも取れるこの物語は、主人公の心の動きに寄り添いながらも、どこか冷淡なまでに彼を突き放して、読み手に本当の恐怖を耽読させる。わたしたちのすぐそばには、いつだって狂気があることに気づかせようと。それに気づかないふりをしているわたしたちを、ぞっとするほどの闇に誘い出すのである。緊迫した時間の流れの中で、読み手の心情をも深く深くえぐるように。はっと気がついたらもう、そこは深い闇である。

4309205089闇のオディッセー (シムノン本格小説選)
長島 良三
河出書房新社 2008-11-08

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