« ハブテトル ハブテトラン | トップページ | のろのろひつじとせかせかひつじ »

2009.03.06

ポトスライムの舟

20090306_016 ささやかな希望。ほのかな光…やわらかな手触りのそれらを日常生活の中で掴むのは、意外と容易いことなのかもしれない。けれど、それらを見過ごしてしまう多くのわたしたちがいる。忙しさにかまけて。あるいは無為に時間を過ごして。あるいは闇や絶望に押しつぶされて。それでも社会の中で生きざるを得ないわたしたち一人一人の時間は、どうしたって止まらずに過ぎてしまうから、些細なことに立ち止まることを許してくれないところがある。当然、自分に対する肯定感も脆くなる。津村記久子著『ポトスライムの舟』(講談社)には、そんなわたしたちの肩をそっと叩き、立ち止まらせる何かがあるように思う。そして、著者独特のユーモアやねじれたやさしさが読み手をやわらかに包み込むのだ。

 物語の主人公ナガセは29歳の契約社員。なおかつ、友人ヨシカの店でバイトをしつつ、パソコン教室の講師もしている。“今がいちばん働き盛り”という珍妙な文言を自分の腕に彫ろうかと思うほどだったりもする。ある日、ナガセは契約社員として働く工場の掲示板で世界一周旅行のポスターに目を留める。その代金はナガセの工場での年収とほぼ同額の163万円。ならば、貯めてやろうじゃないかと思い立つわけである。こうして新たに芽生えた目標を糧に、ナガセは節約倹約を心がけるのだが、母と暮らしている家に友人りつ子が娘と共に転がり込んできて、思わぬ出費に見舞われる。せせこましいナガセだったが、様々な人たちとの交流によって、いつしかこれまでになかった思いが浮んでくる。

 この物語には、生活の手触りが綿密に描かれている。ナガセが手帳に書き込む出費の数字、どんどん育ってゆくポトスなどなど、一人の人間の確かな息遣いが聞こえてきそうなほど、身の丈をわきまえた気負いのない日常があるのだ。実はこの主人公ナガセは、新卒で入った会社を心労から辞めており、その後1年働くことへの恐怖に縛られていた。そんなナガセの心の拠り所となっているヨシカを含めた大学時代の同級生たちとの対比も、物語に膨らみを持たせている。物語は淡々と進み、はっきりとナガセの行く先を示してはいない。それでも、ささやかな希望やほのかな光を感じさせてくれる。生きることへの目標や道しるべなんてものは、案外すぐそばに寄り添っているのかもしれないとさえ思う。

 一方同時収録の「十二月の窓辺」は、ハラスメントを扱った物語だ。表題作「ポトスライムの舟」のナガセの過去にどこか通ずるものを感じずにはいられない。職場でのいじめや人間模様を描いたこの物語には、不穏な空気が終始漂うが、それでも希望や光が感じられる。上司が自分に信じ込ませようとしたほど、世界は狭くないこと。画一的でもないこと。会社から離れたことによって、自分は自由だという手触りを感じる主人公に、愛着を感じるのはわたしだけではないと思う。その手触りは、日常に溢れるありふれたものなのかもしれない。けれど、確かに一歩を踏み出した主人公にわたしたち読者はエールを送らずにはいられない。その、わたしたちとどこか似た彼女に。そっとひそやかに。

4062152878ポトスライムの舟
津村 記久子
講談社 2009-02-05

by G-Tools

 ≪津村記久子の本に関する過去記事≫
 ・『アレグリアとは仕事はできない』(2008-12-31)
 ・『ミュージック・ブレス・ユー!!』(2008-08-31)
 ・『君は永遠にそいつらより若い』(2008-08-12)
 ・『カソウスキの行方』(2008-08-05)
 ・『婚礼、葬礼、その他』(2008-07-13)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

|

« ハブテトル ハブテトラン | トップページ | のろのろひつじとせかせかひつじ »

36 津村記久子の本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/44262627

この記事へのトラックバック一覧です: ポトスライムの舟:

» 津村記久子の「ポトスライムの舟」と、芥川賞選評を読んだ! [とんとん・にっき]
津村記久子の「ポトスライムの舟」を読みました。最初は2009年2月2日発行の単行本で、その後文芸春秋3月号の芥川賞発表受賞作全文掲載で、共に先日の大人の休日倶楽部会員パスを使っての旅行中、車中で読みました。単行本を購入したのはたしか2月8日の日曜日でした。僕の場... [続きを読む]

受信: 2009.03.14 15:24

» 「ポトスライムの舟」 [COCO2のバスタイム読書]
維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。 「ポト [続きを読む]

受信: 2009.03.22 10:37

« ハブテトル ハブテトラン | トップページ | のろのろひつじとせかせかひつじ »