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2009.03.18

雉猫心中

20090223_004 毒を含んだ不穏な空気のざわめきを感じながら、ページをめくる。怖いもの見たさとでも言ったらよいのか。それとも、目の前に描かれる情景から目が離せないほどに夢中になってしまったのか。わたしは怖い。けれど、知りたい。怖いけれど、最後まで知ってしまいたい…相反するふたつの気持ちと競うように、井上荒野著『雉猫心中』(マガジンハウス)を読んだ。ここに描かれる情景には、不気味さがごろごろと転がっている。こっそり餌づけした猫の姿がガラス戸に映る様子、出てくる脇役の登場人物たちの不可思議さ、一見のどかでのんびりした町に広がる噂話など、ただ通り過ぎるだけの人々も、何だか皆表面だけの穏やかさで武装しているような気さえするのだ。それほどまでに怖さが募る物語である。

 これは、ある男と女の破滅的な愛を描いた官能の物語だ。いや、愛など元々はなかったのかもしれないが、男・晩鳥睦朗は妻や娘がいながらにして、女・大貫知子も夫がいながらにして、互いを貪るようになってゆく。ふたりはときどきストーカーっぽい行動を犯しながらも、互いに夢中になる。そうすることがしごく真っ当なことであるかのように。そのふたりを出会わせたのが、一匹の雉猫であり、晩鳥がヨベルと名づけた猫である。互いを貪りながらも奇妙なことに、甘い囁きも幸福感もあまり描かれない。飢餓感と虚しいほどの寂しさは溢れているというのに。だから、愛と呼ぶにはあまりにも違和感があり、恋と呼ぶにも違和感があるのだろう。描かれるのは、生身の人間同士の付き合いである。

 この物語の構成は、プロローグ、知子の視点で語られる第一部、晩鳥の視点で語られる第二部、エピローグとなっており、それぞれの感情の蠢きを知ることができる。ただでさえ複雑に絡み合う人間の心理を、いともたやすく浮き彫りにするこの描き方は、第一部での知子の言い分が第二部の晩鳥の言い分で覆されたり、どちらがどうなのか真偽のほどがわかならかったり、どうしようもないふたりの行く先を示してゆく。読み手は当然、同じ場面に二度立ち会うことになるわけだが、ふたりでいながらにしてそのあまりの温度差の違いに愕然となることだろう。そして、一緒にいながらにして見える景色の違いにも驚きを隠せない。ああ、これが男女間にはびこる問題の根源なのか…と思ってしまう。

 そもそも、何かを見て同じことを思い、同じことを感じる相手というものは、そうそういない。だから、晩鳥と知子のようなそれぞれの視点は、人間関係において当然のことなのかもしれない。女ははじまりの話が好きであり、男ははじまりの話が好きでない…という知子の考えや、“はじまりには終わりがあって、終わりにははじまりがある”と自嘲気味に常々感じていた晩鳥の言葉が象徴的だ。どうしようもない、しかたがない。ふたりの関係をそう簡単に片付けることはできてしまう。けれど、ふたりのそれぞれの言い分の違いに愕然としつつも、ひそやかな期待は捨てずにいたいと思うのだ。夢見がちにも、どこかに同じものを見て同じことを思い、感じる人がいると。きっと、どこかにはいる、と。

4838719507雉猫心中
井上 荒野
マガジンハウス 2009-01-22

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コメント

二部構成。二人の食い違いや視点の違いが興味深かったです。

トラックバックさせていただきました。
表示されないようなので、URLを置かせていただきますね。
http://1iki.blog19.fc2.com/blog-entry-855.html
この前作は、こちらからのトラックバック長時間経過後に反映されたようですが、コメントがなかったので、スルーされたみたいです。

トラックバックお待ちしていま~す。

投稿: 藍色 | 2009.05.03 02:21

藍色さん、コメント&TBありがとうございます!
二部構成だと、それぞれ視点が違っていて、
物語がいろいろな含みを持っていて面白いですよね。

TB。反映されるのが遅くてホント申し訳ないです。
スパムはすぐに反映されて、スパムじゃないのが反映されない…という、
謎なブログです。すみません!
こちらからもTBさせていただきますね。

投稿: ましろ(藍色さんへ) | 2009.05.03 06:15

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