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2009.02.23

あなたと共に逝きましょう

20090218_030 小さな頃に思い描いていた60代の人というのは、ずいぶん年老いて見えていた。けれど、自分の親がいざその年代になってみると、まだバイタリティーに溢れていて若々しい。“老い”という言葉を感じさせないほど動き回っているし、わたしよりも体力があると言っていい。働いて働いて働き続けて…そうやって生きてきた世代は、なんとも逞しい存在だ。この団塊の世代なくして、この社会は成り立たないかもしれないとすら思ってしまう。村田喜代子著『あなたと共に逝きましょう』(朝日新聞出版)は、まさにそんな老いとは無縁で生きてきた夫婦の物語である。ある日を境にまだまだ若いと自負してきた夫の身に病魔が襲う。さまざまな格闘の末に、どう人は生きるのか。体と心。その奇妙なる繋がりに今更ながらはっとさせられ、考えさせられる一冊である。

 まだ働き盛りの60代の共働きの夫婦。一人娘はとっくに嫁いでしまい、夫婦それぞれの生活を充足して過ごしていたはずだった。だが、突然夫の身に病が襲いかかる。動脈瘤破裂の危険があるというのだ。途切れ途切れにしか話せなくなってゆく夫は、それでも諦めきれずにさまざまな民間療法や代替療法に期待して、岩盤浴や食療を試みる。それに必死に付き添う妻の<私>。夫と<私>は繋がれている。夫の姿が見えないと不安になり、見えなくても耳が追う。遠くに行ってしまえば、想像の中で追ってゆく。そうして、夫が入院してはじめて、亭主が生活の留め金であったと気づく。そんな中、<私>の夢の中に夜な夜な逢いに来る男がいる。男の突きつける選択肢は、生への執着なのか、死への逃避行を意味することなのか。夢の中で若い娘となった<私>は迷いに迷う。

 老いると、人は病気からは逃れられない。病気ひとつすることもなく、老衰で終わる人生もあるが、老いればどこかにガタはくるものだ。この物語の夫婦を襲う病魔もその一例だろう。とりわけ、まだ老い方のよくわからないほどに働き盛りの二人にとっては、まさに身をもって知る出来事であるに違いない。夫がもし先になくなったら…とまるで楽しい夢を語るように友人に話していたくらい将来を思っていた<私>。だが、いざ夫が入院して不在にになったときにはじめて、夫のいない人生は“将来”と呼ばないことを知る。“将来”とは、人生の連れ合いが欠けたりすることのない、翳りのない充実した日々のことをいうのだと。だから、夫は勝手に一人で死んではならない。“私たちはセットなのよ”と。実にいい言葉だと思う。長年連れ添った夫婦だからこその言葉だと思う。

 物語の中で、藁をもすがる気持ちで岩盤浴や食療に取り組む姿は、悲痛ながらかなり滑稽だ。実際に効果があるものかどうかは別として、妻の協力なくしてはできなかったことだと思う。少しばかり横柄な態度の夫に「はいはい」とついてくる妻。いいコンビネーションである。そして、最後に描かれる、友人からのメールへの返信の部分には、思わずぐっとくるものがあった。複雑に絡まりあう気持ちは、夫へのラブレターのような内容でもある。タイトルになっている“あなたと共に逝きましょう”に込められた意味が、ここで色濃く読み手の心に刻まれる。犯してはならないもの。それは女の体ばかりではない。人の魂。人の心臓。そういう普段目にすることのない秘部は、本来人が犯してはならない部分ではないのか…と。<私>と共にしばしぐるぐると困惑してしまいそうだ。

4022504390あなたと共に逝きましょう
村田 喜代子
朝日新聞出版 2009-02-06

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