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2009.01.21

天使のとき

20090120_055 きっと誰もが自分の存在を肯定して欲しいと願っている。この世界に生まれ落ちてきたことを。親から無条件に愛されることを。そして、いつしか血の繋がらない第三者にもその存在を認めてもらえることを。願い、乞い、欲する。それは、人間としてはあたりまえの欲望であり、衝動に違いない。けれど、生身の人間同士の付き合いだからこそ、衝突して憎しみ合うこともある。佐野洋子著『天使のとき』(朝日新聞出版)は、家族間の憎悪や葛藤をシュールなタッチで描いた物語である。春画のような色気ある挿絵とともに展開される物語は、ハハに愛されているがチチの存在に苦しむアニと、ハハに憎まれているがチチに可愛がられる妹のナナの、近親相姦を思わせるほどの密な関係の中で進む。

 けれど、この仲睦まじいアニと妹のナナの関係は、死者と生者という違いがある。アニが発する“ナナちゃんは死んでく方に行くんだよ。僕は死んだ方から来た。だから僕は一度ちゃんと死んだことあるんだからね。つまんないよ、生きてることなんか”という言葉は、どこか虚しさを誘う。だが、読み手はそこで立ち止まってはいられない。彼らは逞しくもチチとハハの交わりを目にして、どちらも捨ててやろうと決めるのである。蹴飛ばして小さくしたチチとハハを、あの世に捨てに行こうとするのだ。だが、ハハには逃げられて、もはやチチは死んでいることがわかる。兄妹はチチの最期を見せてもらうためにカミのもとを訪ねる。このカミの存在が、すっとぼけていながらもなかなか印象的だ。

 この物語にはタイトルからは想像できないほどに、救いという救いがほとんどないに等しい。最初からおしまいまで生々しくシュールで、ページをめくるほどに募ってゆく憎悪や葛藤の行き場がどこにもない。どうしたら、この重たい塊を消化させることができるのか、悩みあぐねた結果が、この物語のエンディングに繋がっているように思う。決して清々しい結末ではないけれど、それでも著者ならではのやわらかな毒気のあるユーモアは発表時期からだいぶ経っても色褪せることなく、読み手の心に染み入ってくるから不思議な心地になる。そして思う。憎悪や葛藤のやり場のなさを。生まれてきたからには、いつかは自分でそれと向き合い、折り合いをつけて、なんとしても生きねばならないことを。

 “この世は、はき気を覚える匂いに満ち、私はそれを飲み込む事が生きることであると知ったからである”というのは、赤ん坊にして悟った主人公ナナの思いだ。ハハをひたすら求めて思い続けたアニを、必死に守ろうとするナナ。そして、アニがチチを憎むなら、ちっとも自分を愛してくれないハハと<私>は戦おう。だから、二人は助け合って生きねばならない…そう誓うのである。こんな切ない子ども心とは対照的に、もはや過去のことなど忘れてしまった老いたハハの姿も、物語には描かれる。一番近くにいるのに、愛を乞えば乞うほどにすれ違い、もはや胸の内に秘めるしかすべがない。それでも、娘としての役割を果たそうとする。そうせずにはいられない思いが、胸にいつまでも響くのだ。

402250451X天使のとき
佐野 洋子
朝日新聞出版 2008-12-05

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