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2009.01.15

あなたの悲しみをわたしに―ある若き楽師の物語

20081231_022 やりきれない心の痛みをほどくすべ。それをこの世に生まれ落ちた瞬間から備えていたならば、人はあまり苦悩せずに済むかもしれない。生きづらさを知らずに、もっとゆうるり穏やかに日々を過ごせているかもしれない。あたり前のように流す涙も、笑顔に圧倒されて乾いてしまうかもしれない。けれど、不器用につくられたわたしたち人間は、笑う日もあれば嘆く日もある。忙しなくめまぐるしい感情の起伏に悩みながら、それでも前を見据えなくてはならないのだ。生きよ。そうたぶん、生かされていることには少なからず何らかの意味があって、命じられるままに生きるしかないのだろう。残酷にも時は流れて、止まることをしらない。だからわたしたちもきっと一所には留まってはいられない。

 メアリー・ジョスリン原作、間所ひさこ文、東逸子画『あなたの悲しみをわたしに―ある若き楽師の物語』(女子パウロ会)を読み終えて、そんなことを思った。十六世紀を舞台にした、名前を仮にアーサーとした一人の若者の物語である。戦のおしまいまでヴァイオリンを奏でて、兵士たちの心を豊かにする調べを聴かせることを生業としていた楽師のアーサーは、帰郷する親友に愛する恋人への言葉を託す。けれど、ようやく故郷に戻ってみたとき、アーサーはもはや死んだものとされており、恋人は彼の親友と結ばれていたのだった。愛する人を思うアーサーはひっそりと異国へと旅立ち、遠い国で悲しい調べを奏でるのだった。そんな時、その国の王様に自分の悲しい物語を聞いてもらえることになる。

 この物語のテーマとしたら、たぶん“人はいかにして救われるか”というものだろう。悲しみにくれるアーサーの心の痛みを、身分など関係なしにわかろうとした王様。でも、何かを言うのではなく、ただただアーサーの言葉に繰り返し耳を傾け続けたという、今の時代にもどこか通ずるような、心の再生の過程を描いている。アーサーの心が少しずつほどけてゆくとき、ほんのりと読み手の心まであたたかくなるのは、物語の持つしなやかさとリズム感のある文体の翻訳と、繊細なタッチで描かれた数々の画ゆえのものだろう。そして、アーサーという主人公の人間らしい心遣いと愛情と深い悲しみ、王様のひたむきな本物のやさしさは、美しい装丁のこの一冊にふさわしいものであるように感じられる。

 ただより添って、黙って話を聞く。無償でただ相手を思いやる。繰り返しおんなじ話をしても、嫌な顔ひとつせずに寄り添う。そんな相手(他人)をわたしはいまだにしらない。人間は強さを秘めつつも弱いから、無償でこの物語のような心の再生の過程を体験することはできないかもしれないと思ってしまう。飽きもせずにアーサーの悲しみに寄り添って、共に月日を重ね、やがて解き放たれたのちも傍にいる。そこまでの思いを抱ける王様の心の偉大さと、堪えていた気持ちを吐き出したアーサーに、わたしは頭を垂れるしかない。どちらの立場であろうとも、互いの心の領域に勇気を出して踏み込むことには変わりないからだ。それはひどく不器用にできているわたしたちには、かなりの難題である。

4789605388あなたの悲しみをわたしに―ある若き楽師の物語
Mary Joslin
女子パウロ会 2001-06

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