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2008.12.09

ギンイロノウタ

20081203_033jpg_effected あちらこちらに散らばる無数の狂気にくらくらしながら、痛々しいまでに生きることにさまよう少女の姿を追っていた。あまりにも哀しい。でも、ただ哀しいのではない。虚しいまでに宙をさまよう哀しさなのだ。手におえないエネルギーを放出するすべを知らない内気な少女の心情を確かな筆致で描いた、村田沙耶香著『ギンイロノウタ』(新潮社)。ページをめくればめくるほどに、その狂気にこころを掻き乱されてゆく。その恐ろしさたるや、今まで出会ったことのない不気味さを伴う。壊れている。確かに壊れている。けれど、その壊れる過程はどこからはじまりを迎えたのか、定かではない。もしかしたらわたしだったかもしれない。もしかしたらあなただったかもしれない。なぜなら狂気は、わたしたちのすぐ傍に寄り添っているのだから。

 「ひかりのあしおと」と表題作「ギンイロノウタ」を収録。どちらも危険を孕んだ物語である。「ひかりのあしおと」では、小さな頃の忌まわしい記憶から逃れられずにいる女子大生が、殺傷行為と恋愛感情とに縛られてゆく。世の中との折り合いをつけられず、集団にもなじめず、孤立を強いられてきた主人公の語り口は、どこか壊れており、読み手に共感を許さない。けれど、それでも読もうという気持ちにさせるのは、ここに描かれる悪意や不気味さというものが、わたしたちのこころの奥底にも潜む何かを刺激するからに違いない。そして、誰もがどこかしら欠けた部分を持っているからに違いない。わたしの中に潜む悪意が呼び起こされ、主人公の異常さに馴染んでくる。その不可思議な感覚が、たまらなく心地よかったりするのだった。

 そして、表題作「ギンイロノウタ」。小さな頃から成熟を夢見て、人気アニメの主人公パールちゃんのように魔法を使えたらいいのに…と、銀色の指示棒を手に入れた内向的な少女。パールちゃんのように男性からの視線を浴びたいがゆえに、指示棒をステッキに見立てて自慰に耽ったり、押入に広告の目玉だけをくり抜いて貼り付けたり…と異常なまでに成熟を切望する。そして、小学六年にして“価値が低いなら私は安さで勝負するしかない”と決意を固める。中学三年になる頃には、担任を殺したい衝動にかられ、ノートに殺し方を綿密に書きとめるまでに至る。そんな少女はいつしか、ただただ誰かを殺したい衝動と戦うことになる。指示棒はナイフへと変化し、少女の内に秘められたマグマは極限の状態にまで到達しようとするのである。

 その狂気たるや、恐るべきものである。それでも、彼女の中にはまだ一線が残っている。自分を極端なまでに卑下するしかすべを見つけられず、両親からも愛されず、まっすぐに生きることを全く知らず。それでも、自分はおかしいのだろうかとふと省みる場面があるのだ。読み手はこの部分にほんの少し救われながら、それでもやはり彼女は異常であると思うに違いない。だが、わたしには彼女のすべてが切実なまでの声なき叫びのように受け取れた。ためらいのない声なき声は、どこまでも奥底にまで届いてくる。叫びたい彼女が本当の声を発するとき、それはたぶん究極の負のものに違いない。けれど、その叫びからわたしたちは目を背けられない。彼女の本物の声に、本物の気持ちに、せめてもの思いで耳を傾けるべきなのだろう。

4103100710ギンイロノウタ
村田 沙耶香
新潮社 2008-10

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