« ギンイロノウタ | トップページ | わたしとおなか »

2008.12.10

幸いなるかな本を読む人

20081206_010 果たして本を読むことがわたしの生きる糧になっているのかどうか。実は無為な時間を過ごしているだけではないのか…と、ときどきそんな焦燥の思いにかられてしまうことがある。そんな問いかけに答えるかのように目にふれた、長田弘著『幸いなるかな本を読む人』(毎日新聞社)は、本に多くふれている者としては、そのタイトルからしてやられてしまう。長田氏の言葉を引用すると、“読書は正解をもとめることとはちがうと思う。わたしはこう読んだというよりほかないのが、読書という自由だ。”とある。そう、自由なのだ。自由という言葉ほど曖昧なものはない気もするが、それでも本を読める幸せなひとときを、わたしは特別に愛おしいと思う。自由だと思う。大切にせねばならないと思う。この世界に本があることに感謝せねばならないと思うのだ。

 二十五冊の本をめぐる二十五篇の詩を収録したこの一冊は、プラトン、ニーチェ、荘子、漱石などをはじめ、作者不詳の「アラビアンナイト」などから喚起された言葉たちが並んでいる。中でも一番はじめに収録されている梶井基次郎の「檸檬」から言葉を掬い取った「檸檬をもっていた老人」には、いきなり“読むことは歩くことである。”とある。自分の街へ出て、はじめてのような新鮮な気持ちで歩く。何もかもが新鮮さに満ち満ちている感覚。そこへきて信号待ちをする。ふと老人がいかつい顔に微笑みを浮かべて立っていることに気づく。それがまさに梶井基次郎その人である。そうしてふっといなくなる老人。基次郎の人生と物語とがリンクして、人から人へと読み継がれて解釈も変わる。時代と共にいろんなものが流れてゆく。歩いて、景色が流れるように。

 続いてプラトンの「ソークラテースの弁明」からの「もう行かなければならない」。こちらは、人生はとは何で測るのか、という問いかけからはじまっている。それに対して長田氏はこう答えている。“本で測る。一冊の本で測る。おなじ本を、読み返すことで測る。”と。亡くなった愛しい人の好きだった本を読み返して、思い返す。よいことだけを。楽しかったことだけを。そう、おなじ本を読み返すことは、故人を慈しむことによく似ている。記憶は作りかえられてしまうものだけれど、それでもいい。それでも大切な人を思い出していたい。嫌な記憶は捨て去り、いい記憶だけを脳裏に刻み込むのだ。憎しみや恨み辛みから解放されて、故人を思うこと。今のわたしにはそれはとてつもなく困難なことだけれど、いつしかそうできるようになれたらと思った。

 また、カントの「永遠平和のために」からの「21世紀へようこそ」では、“読むとは、古いことばを新しいことばに更新すること。古い意味から、新しい意味をとりだすことである。”とある。遠い時代の書物さえも、読み継がれてゆくものがある。そうして、そこに書かれたことばたちは、今を生きるわたしたちの心にも通ずる何かを響かせてゆく。それに加えて、新たな発見を見出させ、ときとしてはっと驚かされたりもする。考えることばには不思議な力が備わっていて、わたしたちを導くのだ。行ったこともない国の言葉が、読める言語となって目の前にあること。その不思議にすら気づかないほどに、そっと寄り添ってくる。生まれた国が異なっても、もはや書物に国境はないのかもしれない。そんな時代に生きていることを幸せに思うわたしだ。

4620318930幸いなるかな本を読む人 詩集
長田 弘
毎日新聞社 2008-07-25

by G-Tools

 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

|

« ギンイロノウタ | トップページ | わたしとおなか »

09 長田弘の本」カテゴリの記事

68 エッセイ・詩・ノンフィクション本」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

 なんとも(自分の中で)タイムリーなレビューで驚いています。「わたしはこう読んだというよりほかないのが、読書という自由」・・・全くもって。

 これは名著者らの言葉を抜き出して、そこから受けた感覚を長田氏が新しい詩に換えて載せたもの?でしょうか。この著を読みたいのと同時に、なんとも書いてみたい気になってしまいました。

 「読む者」に自由と幸福の多くあることを。

投稿: Pepe | 2008.12.10 22:37

Pepeさん、コメントありがとうございます。
説明不足で申し訳ないです!
これは名著からの言葉の抜き出しではなく、
あくまでも長田氏の「わたしはこう読みたましたよ」という、
作品からインスパイアされた詩集だと思われます。
ところどころに名著者の言葉を感じることもありますが、
紡がれた詩はあくまでも別物。
長田氏の言葉によって見事に変換されています。
と言っても、ほとんどの本が未読なのですけれどね(苦笑)
解釈の自由さ、読書という自由さを感じられる一冊になっています。

わたしにとってもタイムリーな作品で、
この一冊と出会えた喜びは大きいです。

投稿: ましろ(Pepeさんへ) | 2008.12.11 07:04

わかる言葉に直してくれる翻訳家の存在も大きいですね。

昔、ダンテの神曲を岩波文庫版の文語約で読もうとして挫折し、
その後、大学の図書館で寿楽文章という人の口語訳を見つけ、
読み進めていくうちにすごく気持ちがワクワクしたのを覚えています。

その後大学生協で注文して…でも結局途中で読むの止まっちゃってますけど(笑)

投稿: gunnnai | 2008.12.13 03:10

gunnnaiさん、コメントありがとうございます!
そうですね。翻訳家の存在はとても大きいです。
翻訳の良し悪しで作品はずいぶん印象が違います。

ダンテの「神曲」。わたしも挫折した口です。
いつかもう一度再トライしてみたいものです。
本当は語学が堪能なら、いいんですけれどね。
なかなか難しい・・・
読書でわくわくする気持ち、大事にしたいですよね。

投稿: ましろ(gunnnaiさんへ) | 2008.12.13 10:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55029/43377409

この記事へのトラックバック一覧です: 幸いなるかな本を読む人:

« ギンイロノウタ | トップページ | わたしとおなか »