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2008.12.15

おろち olochi, super remix ver.

20081211_001 人がたとえ何者かによって動かされている単なる駒に過ぎないとしても、生まれ落ちた瞬間からいつ喜びいつ悲しみいつ嘆くかを定められているとしても、わたしはそれでも一人の人間として、この運命を翻弄されるように生きたいと思う。その翻弄を、その一喜一憂をことごとく楽しむように笑い、大声で泣こうと思う。無為な時間が過ぎ去ろうとも、もがき足掻き続ける。それこそが愚かなる人間たる生き物であり、それこそが人間として生まれたさだめであるように思うから。嶽本野ばら著『おろち olochi, super remix ver.』(小学館)は、楳図かずお氏の不朽の名作『おろち』から、第一話「姉妹」第九話「血」及び、映画『おろち』の脚本の設定を原案に創作された新たな“おろち”の物語である。

 物語はある嵐の晩、大富豪である門前家に一人の少女が訪れるところからはじまる。少女の名は“おろち”。ある能力を使ってするりと入り込んできたおろち。この門前家には、一草(かずさ)と理沙というとても美しい姉妹がいた。世間から隔離されて双子のように育てられてきた姉妹だったが、やがて成長するにしたがって門前家に代々伝わる血筋に関する秘密を知った二人の間には溝が深まってゆく。門前家の執事である西条の語りによって展開されるこの悲劇的な物語は、おろちに向けて懺悔のように綴られ、人間の心の奥底に潜む暗い情念や悲しみ、怒り、そして多くの死について疑問を投げかける。そしておろちよ、永久の時を生きる者よ。最も罪深かったのは一体、誰だったのか…と問うている。

 門前家に代々伝わる血筋に関する秘密。それは、姉妹の絆をあまりにも簡単に引き裂くようなものである。あまりにも美しく生まれたがゆえに引き継ぐ運命。それを見守り続ける執事であり、医師でもある西条。彼が語り手になることによって、その誰よりも狂おしい愛を感じられる。いびつながら執念とも言えるほどの愛情を。家庭を顧みなかった父の跡を継いで門前家のことを託される運命を受け入れ、生涯を門前家に捧げる西条。その愚かなまでの愛情のそそぎ方は、人としたら許されない極限のものと言えよう。けれど、彼について誰がその罪深さを責められよう。おろちに語りかけるその切実な声は、もはや終焉の時を迎えようとしている。そして、歴史は繰り返される。過ちは繰り返される。

 そう、わたしたちの日々は繰り返しだ。その繰り返しこそが、人の生きる道でもある。そうして、その繰り返しとこの悲しき物語を思うとき、ふと自分の生き方を省みさせられるのだ。わたしたちの日々を司るものがあるとしたなら、その何ものかによって単に生を翻弄されているだけだとしたらどうだろう…と。こうしてこの本を手にしたことも、言葉を紡ぐこともすべてが自分の意志に反して、もう既に定められていたとしたならば…と。そう思うと、何だかすべてが虚しい。虚しいながらに、それでも生きてやろうじゃないかと思わされる。生まれ落ちた瞬間からそのすべてを定められているとしても、わたしはそれでも一人の人間として、今日もまた愚かにももがき、足掻き続けようと思うのだ。

4093862346おろち―olochi,super remix ver.
嶽本 野ばら
小学館 2008-09

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