シズコさん
愛情の裏に秘められた憎悪。尊敬しながらも、隠し通せない恨み辛み。感謝しつつも、いつまでも根ざす怒りという激しい感情。ねじれたままの関係は、生涯自責の念となって追いかけてくる。愛されたかったのではなく、愛せなかったことを悔いるのだ。とりわけ、肉親ならなおさらのこと。家族だから。いや、家族だからこそ、その思いは強く重くのしかかる。佐野洋子著『シズコさん』(新潮社)には、そういった母親との確執を抱えた著者の、まっすぐな思いが綴られている。一生誰にも、ありがとうやごめんなさいを言わなかった、著者の母親。敗戦を迎えて一家で北京から引き揚げ、四十二歳で未亡人になりながらも、常に身ぎれいにし、女手ひとつで四人の子どもを大学にまで入れたという。
著者は四歳にして、母から邪険に手を振り払われ、そこから母親との確執がはじまるわけだが、わたしはこの箇所を読んで、幼き頃の記憶が噴き出すような心地になった。母と娘。その関係は、何とも不可思議なものである。同性だからなのか奇妙なる嫉妬心を覚えることすらあるし、父親よりも密接なせいなのか間違った深入りの仕方をしてしまうこともある。そうして、生まれてしまったわだかまりは、長い年月を経てもなお、消えることを知らない。むしろ、大人になってからの方が、鮮明に記憶としてよみがえることの方が多い気がする。それに加えて厄介なことに、記憶というのは自分の都合のいいようにできているから、積み重なったわだかまりをさらなる闇へと陥れてしまう。
母親の呆けが進行するにつれて、著者はやがてある種“ゆるし”の感情を抱き始める。高価な介護施設に入れたことを“私は金で母を捨てたのだ”とまで思っていた著者の心が、ほんの少し解放されてゆくのである。母親がまるで別人のように柔和になってゆく様、そして、まるで生まれたばかりの赤子とその母のように一緒に寄り添って眠る様なんかには、胸が締めつけられる思いがした。五十年以上もの歳月を経て、ようやく向き合えた母と娘の姿。それがどんなかたちであろうとも、向き合えないままおしまいを迎えるよりはずっといい。けれど、著者も述べているとおり“それぞれの関係に同じものは二つとない”。自分なりのやり方で自分なりの見切りをつけて、ただ今を生きるしかないのだ。
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