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2008.08.05

カソウスキの行方

20080704_013 人を好きになる瞬間というものが、わたしは今イチわからなくて戸惑うことがある。いや、言い変えよう。好きになってもいい、という瞬間がわからないのだ。いつだって、まるで逃げ水のように、遠くから見れば近くに見え、近づけば遠のいてゆく感じなのだ。好意を持たれたからこちらが近づいてみると、そういう意味じゃないなんていうふうに言われたりする。もちろん、持ちつ持たれつの人間関係でもあるから、しかたないと言えばそれまでのこと。津村記久子著『カソウスキの行方』(講談社)は、そんなわたしに通ずるものを感じさせる物語が収録されている。そして、この著者の作品はどこか孤独さえ痛快に描き、そのはっとするほどのディテールの細かさにうっとりするのだった。

 表題作「カソウスキの行方」。理不尽な理由から、辺境の地にある倉庫係へと左遷されてしまった28歳の独身女性のイリエ。憂さ晴らしするような場所もないような土地で、自分を支えるすべは、誰かを“好きになったことを仮定してみる”こと。つまり、タイトルにある、“カソウスキ=仮想好き”へと繋がってゆくわけである。それも消去法で、身近にいる同僚へと自然と目が向く。彼に対する無理やりな思いは、興信所ごっこのようなものであるにしろ、仮にも好きでいることにしたのだから…と、律儀にノートに情報を収集してゆくのが何とも可笑しく、悲しくもある。決して嫌いじゃないけれど、嘘でも好きですとは言えない。あくまでも自分の中に留めておく。自分に正直な主人公には好感が持てる。

 年頃の友人たちが次々と結婚してゆく中、取り残されてゆくのは寂しいものだ。イリエも左遷されたものの、本社にすぐに戻れることを期待して、借りている部屋をそのままに、はじめは友人の部屋に居候していた。その友人とは、過去の恋愛の痛手から、将来ルームシェアすることすら考えていたほどの間柄。友人の突然の結婚決定の後、会社が契約しているアパート暮らしに関する描写は、主人公にたびたび孤独死を連想させるほど寂れたものだ。一人暮らし経験のある者なら一度は感じるそれ、である。仮想することでイリエが置かれた日常と折り合いをつけたように、誰しもどこかで自分を必死に支えている。そう仮想することで、わたしは今後を繋ぎ止めたい。逃げ水に惑わされるのはわたしだけじゃないと。

 他に収録されている「Everyday I Write A Book」は、上司の嫌がらせに、ちょっと気になっていた男性の結婚、その男性がデザインした販促キャラクターの氾濫、その妻のブログに記される幸せな日々、いくら食事に誘っても断らないくせに必ず22時きっかりに帰宅するオサダとの微妙な関係などに、しだいに追いつめられてゆく主人公の話。「花婿のハムラビ法典」は、結婚するにあたっての回想録。振り回されるだけ振り回される主人公の男性は、ある日を境に恋人から受けた不義理を数値化して、“目には目を”として仕返しするようになるものの、結婚に至るのだ。こんな結婚で大丈夫?と少々心配しつつも、やはりこれもまたひとつの折り合いのかたちなのだなぁと思った。どちらの物語も、何とも痛快である。

4062145375カソウスキの行方
津村 記久子
講談社 2008-02-02

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 ≪津村記久子の本に関する過去記事≫
  『婚礼、葬礼、その他』(2008-07-13)

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36 津村記久子の本」カテゴリの記事

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コメント

どの話もなんだか新鮮で、新しいんだけれども
それらがどれも僕らの日常の中、密かに根付いている
もののような印象をうけました。

カソウスキですか、僕はもういつでも
ふらふらもくもくと夢想しているので
人一倍仮想を実行しているかもしれません。
少しは現実も見ないといけないのですが
現実に引き戻されるときの不安が
ふと脳裏に甦ります・・。

投稿: Pepe | 2008.08.05 23:18

Pepeさん、コメントありがとうございます!
はい。確かにどの話も日常の中で息づいている気がします。
この作品の魅力が伝わってよかった…と安堵(笑)

わたしも現実が嫌になることが多くて、
逃げるようにあれこれ想像をめぐらすことが多いですよ。
そうでもしないとやっていられない現実。
でも、どこかで折り合いをつけるべきなのでしょうね。
いやはや厳しいです。現実は。

投稿: ましろ(Pepeさんへ) | 2008.08.05 23:53

僕も人は逃げ水のようだと思ったことがあります。
だから蜃気楼のようにゆらゆらと微笑んで見えてても、
敢えて近づかないで笑顔を返すだけです。
悪意って嫌なものだけど対処しやすい。
でも好意ってどうしても応えなきゃって思うから
普段の自分じゃなくなってしまうような気がする。
好意を示されても普段の自分でありたいと最近思ってます。

調べ事があってウェブを彷徨ってたらここに来てしまいました。
はじめましてつばめです。

津村 記久子の本は読んだことがないのですが、
面白そうなので読んでみます。

投稿: つばめ | 2008.09.08 00:42

つばめさん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
同じように「人は逃げ水のようだ」と思っている方がいるのだと知って、
なんだか少しほっとしました。
仰るように、好意に対して人は普段以上の応え方をしてしまうものですよね。
わたしもそんな一人なのかもしれないです。
悪意からはさっと身を翻すこともできるけれど、
好意にはできるかぎりのことをしたい…なんていうように。
いつでもありのままの自分でいられたら、
きっと生きやすくなるのでしょうか。
うーん、何とも難しい問題ですね。

ちなみに津村記久子さんの本は、既刊のものはすべて読みましたが、
入り口としては、芥川賞候補作『婚礼、葬礼、その他』や、
太宰治賞を受賞した『君は永遠にそいつらより若い』から読まれるとよいかも知れません。
ご参考までに、オススメさせていただきました。
またのご訪問、お待ちしております!

投稿: ましろ(つばめさんへ) | 2008.09.08 07:43

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