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2008.07.17

殺人者の健康法

20080717_010 歪みに歪んだ屈折した幻想は幻想のままに。果てしない追憶は追憶のままに。こころのうちに留めておくことが正しいのかも知れない。いや、果たして正しいのか。わたしたちの記憶の果てにあるのは、散りばめられた煌めくような美化された思い出ばかりであるのだから。或いは、執念深くたまりにたまった苦々しい思い出ばかりであるから。アメリー・ノートン著、柴田都志子訳『殺人者の健康法』(文藝春秋)を読んでそんなことを思ったのは、物語に登場する男のあまりの身勝手で、かつ滑稽ですらある卑屈さに、ある種の人間の本心を見たような気がしたからだ。もちろん、男の身勝手な幻想にわたしは同調しかねるのだが、それでもどこか本能的な部分で作品に惹かれずにはいられなかったのだ。

 物語は、ノーベル文学賞作家として世に知られる存在ながら、これまでほとんど人との接触を避けてきた、醜悪なまでの巨漢の男プレテクスタ・タシュが主人公だ。だが、余命二ヶ月との宣告を受け、隠居生活から脱するかのごとく、何人かの記者のインタビューに応じようとする。だが、毎朝代わる代わる訪れる記者は、タシュの饒舌で質問をはぐらかしたような毒舌に次々と退散してしまう。そんな中、挑んできた一人の女性記者だけはタシュから一歩も引かない態度を見せ、二人の対話はかなりの毒気を含みながらも、痛快なものとなるのである。タシュがなぜ執筆をやめてしまったのか。未完の小説に関する謎とは。女性記者の企みとは…。二人のやり取りの中で、次第に明らかになってゆく。

 読書人として興味深いのは、タシュがセリーヌの「夜の果ての旅」を絶賛しているところ。ただ、大半の読者はそれを読んだからといって、何かを得たり、すぐさま何かが変わったりすることはない、ということをタシュは言う。多少なりとも影響を受けたとしても、一読して、感想を述べて、わたしたちは皆また日常生活に戻ってゆくのだから。それは当然のことながら、作家という職業の悲劇を感じずにはいられず、何だか妙に切なくなる。もちろん、例外はあって、もの凄く刺激的で影響を与える本だってこの世の中にはたくさんあるに違いない。けれど、タシュの言う論理はわからないでもない。“結局、人々は本を読まない。もしくは読んでも理解しない。もしくは理解しても忘れてしまう”のだと。

4163165304殺人者の健康法
Am´elie Nothomb 柴田 都志子
文藝春秋 1996-10

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  ≪Am´elie Nothombの本に関する過去記事≫
  『午後四時の男』(2006-12-21)
  『愛執』(2006-12-04)
  『幽閉』(2006-12-10)

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コメント

おはようございます~。 読まれたのですね!
タシュの身勝手な幻想は、本当に凄まじいと思います。 これが負の才能かと思うぐらい…。

>多少なりとも影響を受けたとしても、一読して、感想を述べて、わたしたちは皆また日常生活に戻ってゆくのだから

同じく(笑)。 そんなことの繰り返しは切なくもありますが、まあ生活も大事ですからねぇ。
“理解しても忘れてしまう”、ううむ、それも厳しい真実です。

投稿: りなっこ | 2008.07.18 09:31

りなっこさん、コメントありがとうございます!
はい。苦戦しながらも読み終えましたー。
本当にタシュの身勝手さには、しばし嫌悪感すら覚えたほどです。
いや、嫌悪を感じない人はいないかもしれませんね。
でも、読んでしまう。読ませてしまうアメリー・ノートンの才能はすごいと思います。

こんなふうにブログをしているからまだ備忘録的に覚えていることができるけれど、
特別なこと以外はわたしたちはホント忘れやすい生き物ですよね。
何だか切なくなります。

投稿: ましろ(りなっこさんへ) | 2008.07.18 16:10

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