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2008.05.01

いまにもうるおっていく陣地

20070428_022 言葉をかきわけてゆく快感にはたと気づく。文字の波間。その連なりに、骨の髄までひたひたと染み入ってくる。容易にはわからないからこそ何度も噛みしめる言葉があり、容易に理解できてしまうからこそあっさりと流れてゆく言葉がある。そうして、いつしか脳裏に浮かんでくる光景は言葉という制限をこえて、伸びやかなまでにわたしたちを導く。蜂飼耳著『いまにもうるおっていく陣地』(紫陽社)。独特の豊かなリズムで紡がれる、著者ならではの詩15篇を収録した一冊である。古典の文語体と現代の口語体を自由に行き交うスタイルは、中原中也賞を受賞したこの第一詩集から既に完成されており、その言葉のセンスにたびたびはっと息を呑む。

 タイトルになっている「いまにもうるおっていく陣地」。ためらいつつも夏草に覆われた廃屋に足を踏み入れ、流しの水が出たままになっているのを目にする。ひねってもなお、いっこうに締まらない(湧き水から引いている)蛇口。水際にあるこの家が、植物によって侵食されているのを目にする。そこで感じるのは、朽ちても確かに残る人の息づかいと植物の息づかい。その共生だろうか。だが、それをひたひたと感じている観察者に対して、連れの彼女は大胆にも残る息づかいを踏みしめてしまう。そして、この廃屋の陣地なるものがそうした行為によって、何らかの変化をきたしてゆくのだ。それが何だかとても親しみ深いことのように思えて、わたしはほっと安堵した。

 「たこ」という一篇では、霧雨をさけて店内でコーヒーを飲む二人が描き出される。コーヒーカップを上げ下げする行為が繰り返され、うわのそらなのか気まずい雰囲気なのか、長い時間が経過してゆく。二人の間には相容れない領域なるものがあるのかもしれない。いや、それは今に始まったものではなく、もっと根源的なものなのかもしれない。二人という関係性の在り方を思うとき、さまざまに思いめぐらすわたし自身の過去や現在と何かがシンクロして、不思議な心地に包まれる。この一篇では、コーヒーカップが骨壺と表現されているあたりが何ともおかしく、もしかしたらデートなのか。それも緊張の初デートなのか…などといらぬ妄想を掻き立てるのだった。

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» 蜂飼 耳 著 「いまにもうるおっていく陣地」(感想) [夕螺の読書ブログ]
蜂飼さんの著書ははじめて読みました。1999年に発行された詩集です。人は自然の中に生まれ生きる。その生まれてきたままの肉体はまさに自然のままであり、自然な五感を持ち食い排泄をし眠り、生命を維持する。この中に自分を常に感じて生きている。これは他の動物...... [続きを読む]

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