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2008.05.23

落ちこぼれ―茨木のり子詩集

20070329_006 凛として潔い。痛いほどに強烈な言葉の数々は、何もかも包み隠さずにただ心に添う。すとんと届くように。深く深く染み入るように。強い意志のある直球の言葉は、いずれも自分自身へと向かわせる。これまでのわたし。今現在のわたし。これからのわたし。そうして、どうかするとくずおれそうになるわたしに、そっと言葉を差し出してくれるのだ。茨木のり子著、はたこうしろう絵、水内喜久雄選・著『落ちこぼれ―茨木のり子詩集』(理論社)は、「女の子のマーチ」「わたしが一番きれいだったとき」「落ちこぼれ」「汲む」「マザー・テレサの瞳」「自分の感受性くらい」「倚りかからず」など、茨木のり子の代表作を含む全33編を収録した、<詩と歩こう>シリーズの一冊だ。

 タイトルにもなっている「落ちこぼれ」。“落ちこぼれ/和菓子の名につけたいようなやさしさ/(中略)/落ちこぼれ/結果ではなく/落ちこぼれ/華々しい意志であれ”。落ちこぼれという言葉が、何とも魅惑的に響く一編である。また、その選ばれし言葉のやわらかさに思わず笑みがこぼれてしまう。著者は、落ちこぼれないために忙しなく生きることを嘆いている。落ちこぼれこそが人の魅力や風合いを薫らせるのに、と。落ちこぼれること。そこに含まれたふくよかな意味を、はっと気づかせてくれるのだ。わたし自身、ある意味においては人生における落伍者のようなもの。だからこれらの言葉によって、恥ずかしながら、ほんの少し救われた心地になったのだった。

 「女の子のマーチ」では女の子の無邪気な逞しさを、「わたしが一番きれいだったとき」では戦争で失われた時間を、「汲む」では素敵な人から学んだ大人のあるべき姿を、「自分の感受性くらい」では何かのせいにしない生き方を、「倚りかからず」ではなにものにも倚りかからない生き方を紡ぐ。著者の生き様そのもののような作品の数々は、生きるということに対して、言葉を紡ぐということに対して、貪欲でありながら、真摯な姿勢を感じるものばかりである。例えば、人に対しても世の中に対しても初々しくあること。例えば、心の底にしいんと静かな湖を持つこと。例えば、たくさんの失敗をしてもなお、生きてゆこうとすること。まだまだわたしには、学ぶべきことがたくさんある。

4652038410落ちこぼれ―茨木のり子詩集 (詩と歩こう)
茨木 のり子 水内 喜久雄 はた こうしろう
理論社 2004-01

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