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2008.05.28

芝生の復讐

20070514_012 繰り返し繰り返し甦る、遠い日の記憶のかけら。いつまでも去ることを知らないそれは、どうかするとほの暗い影を落としてゆく。陽光の射す今をも、侵食する勢いで。漂うようにしてそこに浮かび上がるのは、果てのない憂鬱とでも言うべきか。どこまでも続くメランコリーの日々なのだった。リチャード・ブローティガン著、藤本和子訳『芝生の復讐』(新潮文庫)は、あとがきによれば、著者の遺した作品の中でも、その自伝的要素の強い作品であるという。悲傷感、挫折感、疎外感と共に、生き生きとした驚きや喜び、感動、おかしみといったものを、著者ならではのユーモアとアイロニーで描いている。形式や文体はさまざまで、長くて数頁、短くて二行の物語、散文、寓話、逸話など、62篇の物語を収録。

 冒頭の「芝生の復讐」。まず、このタイトルにやられてしまう。禁酒時代に堂々とバーボンを密造していた祖母、精神病院で一生を終えた祖父、やがて祖母の家に居着いてしまうジャックというセールスマン。クセのある登場人物たちと、そこに展開する物語の光景とが、印象的に語られてゆく。そして、この物語の最後に語られる異様な光景こそが、語り手である著者の人生最初の記憶だと綴られる。ここでの“人生最初の記憶”によって呼び起こされる感覚は、ひりつくように痛い。けれど、そこから目をそらしてはいけない、と思わされる。それはつまり、自分自身のルーツだから。そして同時に、どんな記憶であれ、今ここに在る“わたし”という存在の、最も深い肯定の意だから、と。

 もちろん、著者がそう思って子ども時代を思い出していたのかどうかはわからない。もっと根源的な意味を含んでいたかも知れないし、わたしほどに感傷的ではなかったかもしれない。浅はかなわたしが思いもよらないところで、著者は悩み苦しんでいたに違いないのだ。何しろ著者の生き方は、亡命者のそれと同じものだったのだから。“アメリカとは何だろう…”そう問いを掲げていたということからも伺えるそれ。嗚呼、あの、実をつけたまま燃やされた梨の木は、その後どうなったのだろうか。燃やされてもなお、土の中にはりめぐらされているだろう根を思って、孤独に支配される自分を感じる。人は皆、孤独だ。でもその孤独にすら、さらなる深い孤独があると知った気がした。

4102147039芝生の復讐 (新潮文庫 フ 20-3)
藤本 和子
新潮社 2008-03-28

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 ≪リチャード・ブローティガンの本に関する過去記事≫
  ・『西瓜糖の日々』(2007-08-02)
  ・『不運な女』(2007-11-21)

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コメント

~~~~~soccer

はじめまして。

北国にも春が訪れました。

三木 清は、「孤独は山(自然)にはなく、雑踏(都会)の中にある。」と言いましたが、含蓄のあることばですね。山は人を裏切りませんが、友人は簡単に人を裏切ります。裏切られると、悲しくなり孤独感に陥ってしまいます。
「自分は、ひとりぼっちだ!」と思って、「死」を考えたりすることもあります。
人間は、だれでも「孤独だ!寂しい。」と思うときがあるのではないでしょうか。

でも、山本有三の”路傍の石”の中にこんな一節があります。
「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか。」

聖書は、その根本的な原因は何かを教えています。
何か、あなたのお役に立てれば感謝です。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

私のブログの記事から:「孤独」について書いた箇所。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/c/0b95efb0c3699796b0f607dda87c0bba

投稿: TAKAHSHI | 2008.05.28 22:39

TAKAHSHIさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
三木清の言葉は本当に深いですね。
その一文にさまざまなことを思いめぐらせてしまいます。
ただわたしは、自然も人を裏切ることが多々あると思っているクチですが。
人間は自然の猛威に太刀打ちできません。
そして、そのとき本当に心底頼りになるのは、書物ではなく、
自分自身だけなのではないでしょうか。

投稿: ましろ(TAKAHSHIさんへ) | 2008.05.29 09:14

短編集のレビューだ!!
びびびと感じるものがこの本にはありそうです。

人は生まれながらにして
全て人、等しく孤独であるのだと思います。
しかし一人では無いが故に
傷つくことあれば愛されることさえあります。

自然はただそこに在るだけ
なのではないでしょうか
そして人はただ在るだけでは
だめなのでしょうか

投稿: Pepe | 2008.05.29 19:45

Pepeさん、コメントありがとうございます!
うん。たぶんかなりびびびとくると思いますよ。
私的にかなりオススメの作品です。

“在る”ということについて考え出すと、
とても深い孤独の中に取り残された感じがしてしまう。
ただここに在ればいいだけなのに、
ちっとも難しいことではないはずなのに、ひどく困難。
なんだか永遠のテーマのような気がしてしまうのでした。
けれど、ほのかに浮かび上がる答えがある気もするのです。

投稿: ましろ(Pepeさんへ) | 2008.05.29 22:05

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