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2008.04.05

わがままなやつら

20070329_003 荒れ野をかきわけ、かきわけ踏みしめて。そうして見え隠れする煌めきに、はっと息を呑む。読み進めるほどに思うのは、なんて寂しいのだろうということ。けれど、同時にやわらかな優しさにも包まれる。なんとも不思議な心地がするのだった。現実と空想の世界の歪みの中で展開される奇跡のような物語は、鮮やかに人々の営みを映し出し、生も死も、痛みも、深い愛情で包んでくれているかのようである。エイミー・ベンダー著、管啓次郎訳『わがままなやつら』(角川書店)。ここに収められた15篇の物語は、いずれも魅惑的な煌めきを放つものばかりである。著者の目は相も変わらず冷静沈着で、感情に流されることをよしとしない。その潔さが、よりいっそう物語を魅惑的にさせている。

 余命2週間と宣告された10人の男たちを描く「死を見守る」。大きな男に飼われることになった小人の物語「終点」。パーティーで3人の男性とキスをする目標を決める「オフ」。母親たちをファックするマザーファッカーと新進女優を描いた「マザーファッカー」。とてつもなくマンゴーが食べたくなった先で入った店「果物と単語」。カボチャ頭のカップルから生まれたアイロン頭の子の悲劇を描いた「アイロン頭」。何度捨ててきても鍋に戻ってきてしまう、奇妙なじゃがいもの話である「飢餓」。偶然と必然が重なった一見単純そうな殺人事件を捜査する「塩胡椒シェイカー殺人事件」。生まれつき十の鍵の指を持っている少年の物語「主役」などなど、どれも強烈な印象を残してゆく。

 中でも、「飢餓」は不気味さと孤独とを同時に感じさせる味わい深い作品である。何度も繰り返しじゃがいもを捨てにゆくのにもかかわらず、戻ってきてしまうじゃがいもに耐え続ける女という構図は、なんだかずいぶん悲しい。しかも相対するように、お隣には華やかに描かれる女性が住んでいるのである。女はやがて、成長してしまったじゃがいもの子供たちを一度は生き埋めにするのだが、そのあたりも女の孤独を存分に匂わせて、読み手の心をぞくぞくとさせてくれる。他の物語においても、登場人物たちは、どこか寂しさや悲しみを背負っているところがあり、描かれていないその背景を思わず探りたくなってしまう。短篇の味わいを耽読できること間違いなし、である。

 ≪エイミー・ベンダーの本に関する過去記事≫
  『私自身の見えない徴』(2006-12-14)
  『燃えるスカートの少女』(2008-01-03)

4047916021わがままなやつら
管 啓次郎
角川書店 2008-03

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