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2008.04.08

イトウの恋

20070323_032 生涯一度の出会いというのがあるとして、それを叶えられる人はどれだけいるのだろうか。悲恋に終わるか、結ばれるか、どちらにしても人生における一大事であることに変わりはない。何しろ、見逃してはならない、生涯一度きりの出会いである。最愛の人と“出会えた”ということが、ただただ奇跡なのである。それはいつの時代においても、変わることがない。中島京子著『イトウの恋』(講談社文庫)に描かれる、年上の英国人旅行者の女性に恋した日本人青年の思いに心揺さぶられながら、そんなことを思った。そうしてその出会いに伴う思いに対して、なんだかとても胸が熱くなるのだった。はたしてわたしは一人の人間として、それを持ち得ていただろうかと。

 物語は、英国人旅行者I・Bのガイドを務めた伊藤亀吉が綴った手記を、偶然にも実家の屋根裏から中学教師の久保が発見し、途中で途切れている手記の行方を探して伊藤の娘の娘である劇作家のシゲルを巻き込んでゆくもの。見つかるべくしてそこにあった手記と、出会うべくして出会った二人。伊藤の切々と綴られる手記と、久保とシゲルの無骨な恋(?)物語が交互に展開されてゆき、先を先をと急いで読みたくなるのだった。伊藤の古文で書かれた手記を、久保が現代語に訳している設定のせいか、少々ぎこちなさの残る文体の手記。けれど、このぎこちなさがなんだか妙なくらいのリアリティをもって、若き日の伊藤の成長してゆく姿を生き生きと描き出しているように思う。

 手記を探すうちに、幼き日に別れたまま行方知れずになっていた実母(伊藤の娘)のことを知ってゆくシゲル。そんな中で、たった一枚残された写真の中の母を見つめながら、それまである意味久保に押され気味だった態勢が端々で揺らぐのを、同じ女性としては見逃せなかった。自分を産んだ母の歳を越してしまい、それでも独身でいるシゲルの中でうごめく感情。その中で、“一生女”という真の意味を思いめぐらすわけである。伊藤の手記にはI・Bのことばかりでなく、ある強烈な印象を残す女性にもふれられているのだが、どんなふうに生きたとしても、その生き様における情熱は計り知れないものがある。母となるにしても。恋に溺れるにしても。いずれでないにしても。

4062760037イトウの恋 (講談社文庫 な 70-2)
中島 京子
講談社 2008-03-14

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コメント

こんばんは~♪
私もこの作品を最近読んで、そして大好きでしたよ。
今思い出しても、ほっこりとあたたかな心持ちになります。

>久保とシゲルの無骨な恋
二人ともなかなか自覚しないところが、読んでいて何とももどかしく、それでいて微笑ましかったですね。

そうそう、内容が似ているわけじゃあないけれど、『球形時間』のことも思い出したり(笑)。

投稿: りなっこ | 2008.04.12 20:01

りなっこさん、コメントありがとうございます!
よかったですよね~この作品。ホント。
これまで何冊か中島京子さんの作品は読んできましたが、
これは予想以上に素晴らしかったと思います。

そして、久保とシゲル。何だかとてもいいキャラクターで、
わたし、何度もクスリときちゃいました。

お、『球形時間』!!!(笑)
ぽ、ポイントはどこだろう…?
謎です。
あれこれ想像を巡らして、楽しませていただきますね。
ふふ。

投稿: ましろ(りなっこさんへ) | 2008.04.13 08:56

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