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2008.04.23

壜の中の鳥

20070421_035 人は、ひとところには留まっていられない。時の流れと共に、その心も身体も変化するものだ。生きるほどに悲しみは積み重なり、何かを得るほどに大事なものをひとつ、またひとつと失ってゆこうとも。とめどなくあふれる悲しみを目の前に、意欲をなくすわたしがいようとも。俯き、ため息をつき、そうして何もかもを諦めようとも。わたしは止まることを知らない。無意識のうちに動き出す。前を見据えて、新たな一歩を踏み出している。寺山修司+宇野亜喜良著『壜の中の鳥』(アートン)は、1977年に書かれたメルヘンと22のアフォリズムを収録している。寺山修司の紡ぎ出すユーモアに満ちた言葉たちは、生きるということの悲しみとそれに伴う喪失感を感じさせ、どこまでも深く染み入ってくる。

 「壜の中の鳥」。次々と人が鳥になってしまうという事件が起こる中、愛し合う若い恋人・ムギとサキの身にも事件は起こってしまう。まだ悲しみを知らない二人。たくさんの幸福を夢みていた二人。そんな二人にも、運命は残酷だ。ここに登場する、北ニューギニアの二度神(にどしん)は、生涯に二度だけ願いを叶えてくれて死んでしまう神さま。そんな見たこともない神さまのことを空想して、何をお願いしようかと思いめぐらすサキの無垢さは、その後の展開を思えばあまりにも儚いものだ。ムギとサキは相手を思うがゆえにすれ違い、その悲しみをさらに深くする。そこで次のようななぞなぞが紡ぎ出される。“同じ鳥でも飛ばない鳥はなあんだ?/それはひとり という鳥だ(p26)”

 ひとり。飛ばない鳥。飛べない鳥。“ひとり”であるわたしたちには、たくさんの幸福を夢みていた頃の思いはなくなっている。空の青さ、赤ちゃん、家、二人の幸福……といった夢は薄れ、一度知ってしまった悲しみは、いつまでも奥深くこびりついて、そう簡単に離れるものではない。生きるほどに募る悲しみ、大事なものを失った喪失感に、いつしかわたしたちは怯えて暮らしている。そういう人間の姿を寓話として、この「壜の中の鳥」で描いているように思うのだ。だが、忘れてはならない。わたしたちは生きている限り、ひとところに留まってはいられない生き物である。“ひとり”ではいられないわたしたちは、知らぬ間に誰かを求めて、もう一歩を踏み出しているのである。

 ≪寺山修司+宇野亜喜良の本≫
  『踊りたいけど踊れない』(2007-12-01)

4901006614壜の中の鳥
寺山 修司
アートン 2003-11

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