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2008.04.16

緋の城

20070416_44046 死に侵食されてゆく。死者に腕をつかまれる。そうしていつしか、ここには二人のわたしがいる。生にあるわたしと、死者に寄り添いたがるわたし。両方に属することなどできるはずがないのに。その腕を、脚を、自ら浸らせてしまう。まるで情熱に突き動かされるように。或いは、ただ傍観することで。矛盾した思いは、やがて“わたし”というひとつのかたちを全く別の色に染めてゆく。始終表面の意識を働かせていようとも、うごめく奥底のわたしは、いつだって無力なのだ。木崎さと子著『緋の城』(新潮社)。緋色の部屋に立ち込める死者の影に侵されてゆくこの物語は、何とも不気味な読み心地ながら、読み手をぐいぐいその世界に引き込んでゆく、魅力的な作品である。

 夫の赴任先であるパリで借りたアパルトマンは、すべてが緋色の部屋だった。死んだはずのシュザンヌの荷物や縫い針があちこちに散乱し、安心して子育てができそうにない。にもかかわらず、いつしか彼女に寄り添いはじめる主人公。そして同じ頃、またいとこであり、かつての見合い相手である男が、亡き母・三保子に心を壊されたことを語るのを聞く。母子関係の悲劇は主人公の心をひどく揺らし、緋色の部屋で彼女たちの死の影にますます脚を踏み入れてしまう。シュザンヌに関する謎めき、三保子の潔癖なまでの愛情。死者の遺していったたくさんのものにまみれながら、最愛の息子を思う主人公。思うほどに満たされず、満たされないからその思いを募らせるばかりだ。

 そうして物語は、主人公の心の葛藤を丁寧に描き出してゆく。ときに宗教的な思いをまじえながら。中でも、またいとこの男とのやり取りの中に、無償の愛をめぐる思いの矛盾を鮮やかに見せられた気がした。人は純粋な思いから何かをしているつもりでも、実は何かを知らず知らずのうちに求めている。与えるばかりではなく、与えられることをどこかで願っている。ただ愛するだけでなく、愛されることをより欲している。生の中にいながらも死者に寄り添う主人公が二つの自分に揺らぐとき、同時にこの二重の意識に挟まれて思うのは、ただ息を切らせて確かなものとしてある、その肉体のみだった。そのはっとするほどの現実に、頼りなさに、読みながらぞっとした。

 物語の中には、シュザンヌが聴いていただろうバルバラの歌のことが何度も登場する。左岸のアーティストとして高名な、自作のシャンソンを自演する「黒の貴婦人」と呼ばれた歌い手らしい。主人公は、このバルバラとシュザンヌとを深く結びつけてイメージを膨らませていた。パリも知らない。フランス語もわからない。そんなわたしであるから、これはバルバラの歌声を聴かねばなるまいと、早速検索してみた。マイスペでバルバラの歌声を聴いたときは、ぞくぞくと鳥肌が立った。その繊細な声色に。その哀愁に。そして思った。今、わたしの傍にもシュザンヌがいる。その視線が絡みつく。その気配が近づく。嗚呼、侵されてゆく。けれど、それも悪くはない。そう思った。

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4103661046緋の城
木崎 さと子
新潮社 2002-02-27

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