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2008.04.12

記憶のつくり方

20070409_011 こぼれ落ちゆく幾多の記憶たち。わたしの中に残ってゆくのは、ほんの一握りの記憶でしかないのだろう。それでも、今ここに在るわたしという土壌をつくったのは、その一握りの記憶である。過ぎ去ったものではなく、過ぎ去らなかったもの。そこにとどまったもの。それが記憶というものだと、長田弘著『記憶のつくり方』(晶文社)で著者は語る。つまりは、わたしという人間をつくったのは、そういう過ぎ去らなかった記憶たちなのであろう。“記憶=過去”と一口で言っても、その意味するところは微妙に異なっているのである。過ぎ去る。過ぎ去らない(=とどまる)。わたしたちが経験するすべての瞬間は、その二つのことに集約されているのかも知れない。

 この作品は、3章24編からなる、詩文集である。「ルクセンブルクのコーヒー茶碗」という箇所では、予定を作らない、いわゆる旅らしい旅ではない旅について書かれている。日々の繰り返しから自分を密かに切り離すような旅である。そんな中で、著者は普段はすっと入ってこないような言葉を噛みしめて、忘れていた自分を見出して、再び家路へと戻ってゆく。旅をしないわたしは、こんな箇所を見つけてしまうと、自分の進歩のなさというものを、まざまざと感じるわけである。ときには違う環境に身を置くこと。新しいものにふれること。そうして、自分自身を取り戻すこと。そういうちょっとした旅心のようなものの力を、信じてみたいような気すらしてくるのだった。

 「自分の時間へ」には、“書くとは言葉の器をつくるということだ。その言葉の器にわたしがとどめたいとねがうのは、他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い「無名」、青い「沈黙」だ(p87)”という箇所がある。自分の時間としての人生を思うとき、それを明るくともしてくれているのは、他でもない、自分以外の人々である。そうして、与えられた人生を自分なりに耕してゆくことで、過ぎ去らなかった記憶たちは育ってゆく。わたしたち一人一人の中にとどまるのは、“わたし”というひとつの土壌を豊かにする、かけがえのない煌めきを放つ、選ばれし記憶の欠片なのである。そう考えてゆくと、何だかすべての瞬間瞬間が、愛おしくて特別なものに思えてくる。

4794935315記憶のつくり方
長田 弘
晶文社 1998-01

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コメント

こんにちは。

ついに読まれましたね♪
読みやすいのに、読後感は深いでしょう?

わたしも、また、読み返したくなりました。
しみじみと、思い出す言葉がいっぱい・・・

投稿: nadja | 2008.04.13 16:31

nadjaさん、コメントありがとうございます。
はい。深かったですー。
わたしはたぶん、半分も理解できていないんだろうな…。
でもこれに懲りずに、また他の作品にもふれてゆこうと思っております。
すっかりファンになってしまってる。

投稿: ましろ(nadjaさんへ) | 2008.04.13 21:11

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