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2008.04.21

ババ、バサラ、サラバ

20070421_042 気がつくと言葉を求めている。どんな言葉でもいい。生身の、血のかよった言葉なら、なおのこといい。小池昌代著『ババ、バサラ、サラバ』(本阿弥書店)という現代詩集を読みながら、そんな心持ちになっていた。タイトルの意味は不明だ。だが、不明ながら濁音の言葉の響きが、ことさらあたたかなやさしさに満ちていることを教えてくれる。ババ、バサラ、サラバ。呪文のように、早口言葉のように声に出して、何度も何度も言ってみる。唇と唇がふれるたびに伝わる微かな振動が、何だかとてもくすぐったい。ババ、バサラ、サラバ。とりたててたぶん意味はないけれど、それでも確かに息づいている。求めていた生身の、血のかよった、そんな言葉だと思った。

 わたしはよく、変わらないね、と言われる。そのたびに変わらなくちゃいけない、と思う。同時に変わってはいけない、気もする。この身体に刻まれたひりひりするような感覚を、それをまだ忘れられずにいることを、どこかで肯定されたい、とも思う。だからだろうか。幼き頃の感覚を呼び起こされるような文章に出逢うと、心がざわつく。言葉が愛おしくてたまらなくなる。この詩集の中の「菊野先生」という一篇は、わたしにとってそんないつかのひりひりを思い出させるものだった。もちろん、そこには大人になった今だからこそ言語化できる感情の蠢きがあるのだが。記憶の中の過去と今とが繋がるとき、はじめて理解できることがあることに、はっと胸を突かれてしまう。

 「スター」という一篇では、鮮やかに光と闇とを描いている。舞台袖からスターを見つめ続ける語り手は、どこまでもどこまでもただ見つめ続ける。手を差し伸べることも、声をかけることもしないで。“わたしはここにいて ここにいないのだから”そんな哀しい立場のまま。スターのなれの果てまで見つめる視線は、どこまでも冷酷で、同時にあたたかい。「金魚」では、30年ぶりにやってきた金魚に振り回されながら、それでもその生を真正面から見つめる。夢にうなされるほどに金魚に支配されてゆく日常は、滑稽ながら危機迫るものがある。その結末を知るとき、ちくりと胸に痛みを覚える一篇である。全20篇を収録したこの一冊は、何度も何度も噛みしめたくなる言葉に満ちている。

4776804530ババ、バサラ、サラバ
小池 昌代
本阿弥書店 2008-01

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