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2008.02.28

小春日和 インディアン・サマー

20071204_4005 今、此処に息づいている。今、彼処にその呼吸が広がってゆく。脳内で踊り出した言葉のひとつひとつは、すとんと身に染み入り、流れるように語り出す。すうっと。すとんと。口語体で紡がれた一人称の物語である、金井美恵子著『小春日和 インディアン・サマー』(河出文庫)は、確かな人の温度伝えるほどに、等身大の少女という時期を描いている。物語の語り手である桃子は、一浪の末大学に入学し、小説家である叔母のところに居候することになる。同性の愛人と暮らす父親、弟のことにばかり熱を入れる口うるさい母親という、少女小説にしては少々個性の強い人々に煩わされながらも、花子という友を得て、ゆるゆるとのびやかに日々は過ぎてゆく。

 物語の中で印象的だったのは、桃子と花子が、夜風をきって自転車を飛ばしてビールを買い出しにゆく場面である。本を読むのは大好きだが、何かにつけてぐうたらしている桃子と、小柄で中学生の男の子のような風貌ながら、知識にたけている花子。そのコンビネーションの見事さに笑みをもらしてしまうこと、しばしば。ふたりは何かにつけて言い争いをするのだが、それがあまりにも平和的であるものだから、何とも微笑ましく思ってしまうのである。もちろん、ビールを買い出しに行った際にも言い争ったわけだが、何だかんだ言って、やっぱりこれって青春だよなぁと、身勝手な読者であるわたしは思ってしまった。嗚呼、チャリンコに乗りたい。そう切実に思う。

 また、後半部分にぐっとくる場面が展開する。ぐうたらすることにも焦りがではじめた桃子は、ある小説の物憂げな官能的台詞をふと思ってみるのだ。“こんなことをしていていいんだろうか?”“もちろん、いいのさ”と。そんな一人問答に対して、叔母は言う。焦ることはない。何かやらなければならなくなったら、嫌でもやらなければならなくなるんだから、と。そんな言葉に対して“まあ、(今は)本でも読んでるさ”と返す桃子。すると叔母は“それにしても…”と小言を文学談義で返してくる。なんだかひねくれている会話の妙が粋なのである。少女小説は数あれど、こんなに可笑しくも物憂げな物語には、はじめてふれた気がしたわたしだ。嗚呼、もっと本が読みたい。

4309405711小春日和(インディアン・サマー) (河出文庫―文芸コレクション)
金井 美恵子
河出書房新社 1999-04

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