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2008.02.17

やがてヒトに与えられた時が満ちて……

20070215_046 感覚、というものを考えるとき、在る、ということがゆらぐ。わたし、という存在もゆらぐ。わたしの周囲にあるものの存在も、ありとあらゆるものものがゆらぎ出す。もちろん、わたし、を司る思考も。そもそも、わたしという概念はどこからくるものなのか。わたしという存在が、なぜ“わたし”と他者を識別できるのか。人を人とたらしめているものとは、何であるのか。あたりまえに身の回りにはびこる“在る”を意識し出してしまうと、際限なく苦悩に満ち満ちてくる。そうして鋭敏に研ぎ澄まされた感覚はとどまることを知らず、外側へ外側へとわたしたちを解放してゆく。“わたし”という存在を超えた、ずっと先の方へと。わたしたちの、知らぬうちに。

 そんなことをついぞ思考してしまうほどに、池澤夏樹著、普後均写真『やがてヒトに与えられた時が満ちて……』(角川文庫)を読みながら、ぐらぐらとゆらぐわたしがいた。それは、物語が今いる場所の不確かさ、危うさを問うてきているように感じたからに違いない。誰もがある意味で満たされた生活を送ることができる、いわゆる理想郷に近い植民都市ラグランジュを舞台に展開する物語であるにもかかわらず、である。地球が人の住めない場所になった近未来の設定で、ヒトはCPUネットワークによって均一に管理された閉鎖的な空間の中にいる。過去の記憶を捨て去り、新たな文明の中で生きよ、と。文明は生まれては変化し、やがて消滅するさだめにあるというのに、だ。

 そうして物語は、ヒトが自分たちの手の中に進化の装置を持ってしまったゆえに、過ちを犯すさまを描く。その結果、孤立した空間に暮らすヒトの悲しみを哲学的にも問うてくる。その安定と自律は、果たして幸福なのか。人間的である、ということの本当の意味を。そして、死生観までも問う。人間にとって基本的な何かを見失うこと。それは既に、加速の傾向にあるのかもしれない。せっかちに動き回るわたしたちのことだ。この先のことなどわからない。わからないからこそ、わからないことに苦悩して安定と自律を早々と望んでしまうかもしれない。物語が示唆する、ヒトの終末というものを読み進めるうちに、わからないことさえわからなくなってきてしまう有り様のわたしなのだった。

 だが、わからない、という感情を持てる喜びを、今わたしは感じている。その、ほどよい圧迫感。じんわりと痛み、震える脳内。速まる鼓動…そういうものがすべて愛しくなるほどに、わたしは、わたしであることに夢中になっていることに気づく。もはやそれは、ホモ・サピエンスとしてのヒトでもなく、人間でもなく、女でもない。あくまでも“わたし”という個体であるのみだ。それも、不確かで曖昧な。けれど、確実に他者と区別できる存在としての。物語のように宇宙を思うとき、こんなにも個を実感するのは、わたしの器の小ささゆえなのかもしれないが、それでも、この愛しさをしっかり抱えて、わたしはわからないものと向き合わねばなるまい。わからないなりに、懸命に。

4043820011やがてヒトに与えられた時が満ちて… (角川文庫 い 58-2)
普後 均
角川書店 2007-11

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02 池澤夏樹の本」カテゴリの記事

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コメント

ましろさん

お久しぶりの竹蔵です。
池澤夏樹の「叡智の断片」を読んだばかりなのですが、まだこの本は存在すら知りませんでした。
忘れないうちに早速注文しておきます。

池澤さんの本では「キップをなくして」や「南の島のティオ」なんかがましろさんには合うかななどと思います。「きみのためのバラ」はもう少しましろさんが年を重ねてからが良いかと。余計なお節介ですが。

竹蔵

投稿: 竹蔵 | 2008.02.17 16:06

竹蔵さん、コメントありがとうございます!
初の池澤作品だったので、オススメしてくださって嬉しいです。
余計なお節介、すごく有難いです。

この作品はわたしにとってはかなり難解だったので
(たぶんSFというジャンルに不慣れなせいかもしれません)、
他の作品に手を出すのがとても怖いのですが、
勇気を振り絞って読んでみますね。

投稿: ましろ(竹蔵さんへ) | 2008.02.17 17:41

ましろさんこんばんは。
TBさせてもらいました。

ましろさんの深い思索についていけませんでしたが、
わからない、というか自分の感じる違和感のようなものが、
大切なのは感じます。
しかしそこで「愛おしさ」と繋がっていくのが、
なんとも個性的で、いいな、と思いました。
その愛おしさを抱えることができれば、
ぼくなどでも、わからないものとの間が、
何か変わるのかなぁ、と意味のわからないことを、
考えました。

投稿: 門外漢 | 2008.02.17 18:34

門外漢さん、コメント&TBありがとうございます!
わたしはそんなに深くないですよ。
悲しいくらいに、相当に浅はかです(苦笑)
実際にも小さいけれど、器もちっちゃいから、
宇宙なんて規模ではあまりにもわからなくて、わからないあまりに、
2日間ほど悩み続けた結果、
「これって、愛しいってことじゃない?」となりました。
単細胞ですね。
これからもきっと「愛しい」という感情を見つけるたびに、
わたしはそれを口にすると思います。

投稿: ましろ(門外漢さんへ) | 2008.02.17 19:21

こんにちは。

ようやく読みました。
悲しみ、なんて言葉では言い尽くせないような・・・
やるせなさ、というか、愛おしい愚かさ、というか・・・
もう二度と間違いは犯したくない、
未来を生きるものたちに後悔はさせたくない、と願って
愛ゆえの決断、それでも、失敗してしまう。
深い深い悲しみが流れていますね。

TBさせていただきました。

投稿: nadja | 2008.03.07 17:16

nadjaさん、コメント&TBありがとうございます。
おぉー!読まれたのですね。
いろんな感情を呼ぶ作品でしたよね。
こういう作品を読んでしまうと、
ものすごく自分自身がゆらいでしまう。
作品全体に流れる深い悲しみは、
読み終えた今でも、じわりと残っています。

投稿: ましろ(nadjaさんへ) | 2008.03.07 21:22

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