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2007.12.21

紅水晶

20061015_006_2 いくつもの呑み込む言葉があって、僅かばかりの発する言葉があって。そうしてわたしは無口になる。ひどく、ひどく。悪いな。そう思う。けれど、それすらも言葉にならない。一人でいても独り言すら呟けず、多くの言葉を聞き流しては呑み込むのだ。繰り返し、繰り返し。蜂飼耳著『紅水晶』(講談社)を読み終えてそんな思いを抱いたのは、この作品の中の、呑み込まれた言葉がひどく印象に残ったからだろう。登場人物は、鋭いともいえるくらいの視線を持ち、饒舌に心情を語るだけの言葉を持っているにもかかわらず、相手にそれを伝えない。敢えて伝えない。だからこそじんじんと伝わってくる空気感があり、その緊張は多くを語らないことを肯定する。

 表題作「紅水晶」。結婚を口にする恋人を好きだと思いながら、実感がわかない百音(もね)。ぼんやりしているうちに時間だけが過ぎ去り、恋人を思い出す余裕もない。二人の距離には、大きな溝が感じられる。そんな中、石屋を営んでいる恋人のもとにあった、蛙の置物が売れてしまう。百音が気に入っていたものだ。そして蛙の買い手である丸山があらわれて、物語は急展開を迎えるのだ。途中の、タイトルにもなっている“紅水晶”を恋人と百音が探しに行く場面は、思わず息を潜めてしまうほどインパクトがあり、そこに漂う音や鮮やかな色、リアルなまでの手触りなどが、確かなものとして刻まれてゆく。宙に浮く言葉や気持ちとは、うらはらに。

 表題作の他に収録されている「崖のにおい」「こぼれ落ちる猿の声」「くらげの庭」「六角形」についてもやはり、いくつもの呑み込まれた言葉が印象的である。余計なことは言わない方がいい…というような、突き放したニュアンスではなく、例えば、そっと見守るような呑み込み。例えば、簡単に同意するのでも共感するのでもなく、ひとつの個を大切にするがゆえの呑み込み。それらは言葉を慈しむがゆえのものに違いなく、著者が“言葉”というものに対して真摯な姿勢を貫いているからなのだろう。また、作品の端々には独特の表現が見受けられ、詩人ならではのこだわりと表現に対する挑戦のようなものも感じた。いい作品と出会った。素直にそう思う。

4062143879紅水晶
蜂飼 耳
講談社 2007-11-30

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コメント

どうもペンギン店長です。
この記事を読んだおかげで「蜂飼耳」さんを知りました。いつもいつもお世話になってます。
初めはエッセイから読んでいますが、なんとも不思議な文章を書く人ですね。次はこの小説に挑戦してみようと思っています。物凄くハマリそうな予感がするんですよ。
詩集を探しているのですが、なかなか見つかりません。やっぱり大型書店に行かなくてはいけないかな。

それにしても、ましろさんの紹介される作品はどれも面白そうで、うれしい悲鳴をあげています。
これからも参考にしたいと思いますので、よろしく。

投稿: ペンギン店長 | 2008.02.18 21:15

ペンギン店長さん、コメントありがとうございます!
蜂飼耳さんの魅力が少しでも伝えられたならいいのですが…
はたしてちゃんと理解できているのかもわからないし、
心にうごめく感情を言葉にするのはとても難しいですね。
何とももどかしいかぎりです。

実はわたしも、まだちゃんと蜂飼さんの詩集を読んだことがありません。
詩人の方の書かれる小説にはよく手を出すのですが、
なかなか肝心の詩集の方には手が伸びないわたしだったりします。
よ、読まねば!

こちらこそ、今後もよろしくお願い致します。

投稿: ましろ(ペンギン店長さんへ) | 2008.02.18 23:00

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