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2007.11.26

一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する

20061112_010 わたしの幼き日々の中には、絶対的な存在がいた。とりわけ、多くの時間を費やすことになっていた学校における教師たちの存在は、それはもう神以上のものに違いなかった。いや、違いないことをまざまざと見せつけられてきたと言った方が、正確かも知れない。教師たちの「よし」とするものを信じること。信じているふりをすること。それは、学校生活における平穏を意味したのだった。鹿島田真希著『一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する』(河出書房新社)は、学校における教師の絶対的な存在を知らしめるような物語からはじまる。聖書の逸話などをモチーフに語られるそれらは、いつまでもねっとりと心にまとわりついてくる。

 物語は、語り手である<私>が小学校から中高一貫の女子校に進み、やがて子どもを身籠もるに至るまでを描いている。中でも、一番はじめに収録されている「天・地・チョコレート」での傍観者としての<私>は印象的である。教室で教師の言葉によって世界が創造されるのを見ている。クラスメイトの少女たちが知恵の実であるチョコレートを少年たちに渡すのを見ている。そして様々に思い巡らされる性的な話や噂話においても、徹底的に一定の距離をおいているのである。あくまでも傍観者に徹すること。それはどこか現実を生きているようで生きていない、危うく、残忍な、かつ哀しみに満ちた存在の眼であるように思えてならない。

 そんな眼あってのことなのか、最後に収録されている表題作において主人公は、生きることに対してほとんど無力な存在となっている。それが、学校というひとつの場所から遠ざかったゆえのことなのか、女性としてのある区切りを迎えたからなのかはわからない。教師という絶対的な存在を失った主人公は、今度は恋人に依存し始め、その対象を失うと、誰かに強いられること、支配されることに受け身になってゆくのだ。彼女の変貌ぶりから気づくのは、生きる上で逃れようもない絶対的な存在というものの影と、この世の中におけるたくさんのしがらみの数々である。そして何よりも、この世界に生み落とされたことによる哀しみに違いない。

4309015492一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する
鹿島田 真希
河出書房新社 2003-05-15

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