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2007.11.21

不運な女

20071114_003 忘れられた女ほど、悲しい者はいない。その命をもってなお、誰からも語られないとしたら、いっそう悲しみは濃くなるばかりだ。名前すらなく、年齢すら曖昧で、いまだに死に続けている彼女を、誰かが葬ってやらねばなるまい。彼女について、ほんの少しでも知ることで…そんな心持ちで読み始めた、リチャード・ブローティガン著、藤本和子訳『不運な女』(新潮社)。これは、47歳の孤独な男を語り手にして、あちこち旅しながら不運な女たちに寄り添い、過ぎゆく時間を見つめる物語である。始終漂う哀愁は、どこか著者本人の生涯の顛末を予期させるものであり、物語という枠組みを超えて読み手に語りかけてくるような気がする。

 死。この物語を彩っているのは、多くの人の死に尽きるのではないだろうか。物語には、ユーモアやアイロニー、散りばめられた多くのたわいもないことが満ちているというのに。思えば、N宛ての手紙や首つり自殺を遂げた名もなき女の死ばかりじゃなく、路上に片方だけ残された女ものの新品の靴などからも感じられたことだ。語り手の男は、それらのことを語ろうとすればするほどに、別の何かを語り出してしまう。まるで、無意識のうちにそれらから逃れようとするかのように。人の死に引きずられることから抗うように。だが、男は最後まで語ろうと努める。手持ちのノートが尽きるまで。願わくは、もっと良き語り手が現れるようにと。

 もちろん、物語には死ばかりが横たわっているわけではない。物語は、日録地図の形式をとっているのだが、この語り手、書くことに取り憑かれたかと思うと、急に何日も書かない日を過ごしたりするものだから、時間軸が伸びたり縮んだりするのだ。そのため、そこに確かに在る生というものを、読み手は感じ取ることができる。嗚呼、ここには確かに息づく者がいるのだな、と。そして、ここには確かに苦心する一人の男がいるのだな、と。読み手であるわたしは、そのことにほんの少しの安堵とおかしみを覚えたのだった。また、この『不運な女』は、遺品の中から一人娘が発見した、ブローティガン最後の小説ということである。

4105127020不運な女
藤本 和子
新潮社 2005-09-29

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