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2007.11.28

白バラ四姉妹殺人事件

20070807_44021 似ているようで異なるはずの境界が取り払われて、すべてが一緒くたになる。自己と他者が。事実と妄想が…やがて狂い出す歯車は、積み重なった憎悪を募らせ、家族を家族とたらしめていたものが何であるかを、わからなくさせるのだ。いつからか、いつのまにか。そんな危険を孕んだ小説が、鹿島田真希著『白バラ四姉妹殺人事件』(新潮社)である。婦人(母親)、姉弟という名の女と男、女の婚約者。名前すら持たない彼らは、町で起きた四姉妹の事件に熱中する。あるいは、そ知らぬふりをする。そうして、事件に引き込まれてゆくほどに、自分の抱える問題を顕わにし、自己と他者との境界を見失ってゆく。その光景はまるで、演劇を観ているかのようでもある。

 物語上に登場する四姉妹の事件から浮き上がってくるのは、歪な母と娘との関係である。端から見れば、仲の良い母と娘。それも、よく似ていると思われる二人である。そこに根ざす闇の深さは、きっと誰にも想像できないものだろう。二人にしかわからない確執、葛藤、憎悪…の数々。それらは母と娘の域をこえて一対一の個としての女同士になったとき、新たな感情を生み出すことになるのだった。自分と娘を重ね合わせるほどに愛しているのにもかかわらず、同時に殺したいほどに憎らしく思う感情があること。その相反する思いに貫かれながら、日々を共に過ごすということ。人間とは、つくづく恐ろしく悲しい生き物であると痛感する展開である。

 また、物語において男性を異物として徹底的に排除していることも見逃せない。母と娘の関係に男は不要とばかりに、その存在を否定し、彼らに一時期でも愛されてしまったこと、彼らを一時期でも愛してしまったことを嘆くのである。それゆえに、母親は姉弟の近親相姦を疑い、彼らの仲の良さを疎ましく感じる。男はいつだって裏切ってゆく生き物だと決めつけて。物語を通して見えてくる女性像は、ひどくデフォルメされつつも、ある意味で女という真実を告げているように思うのはわたしだけではないだろう。この感情的に生きる者の姿は、いつだって醜くも正直だ。女であるわたしは、自分が女であることにほんのり安堵を見出した気がしたのだった。

4104695017白バラ四姉妹殺人事件
鹿島田 真希
新潮社 2004-08-28

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コメント

鹿島田さんの本、これも↓のも読んだことはないのだけれど
過去に読んだ2冊の本は、密度の高い閉ざされた世界で
息をするのも苦労した覚えがあります。
読むのにかなり体力も精神力も必要という印象を受けて
中休みしていましたが、ましろさんのレビューを読んで
そろそろまたチャレンジしてみようかなぁ、と思いました。

この本、マグリットの絵が使われているんですね。
ますます、そそられてしまう・・・♪(笑)

しばらくぶりに読むのなら、これと↓と、どちらを先に読むのがいいかしら?
よければご意見を・・・♪

投稿: nadja | 2007.11.28 16:31

nadjaさん、コメントありがとうございます!
わたしはきっとnadjaさんが読んだ2冊を読んでいないのだけれども、
どちらかというと『白バラ四姉妹殺人事件』の方がよいかと思います。
それは評判の良さから…という安易な理由で(笑)
やはり、こちらも息苦しいお話しではあります。
きっと読むのに苦悩するのがこの本の醍醐味。
いや、この著者の作品の作風なのでしょう。と、勝手に解釈しています。
気持ちに余裕のあるときに手に取ることをオススメします。

それにしても、マグリットの絵は惹かれますよね。
ふふ。わたしもそそられたクチです。

投稿: ましろ(nadjaさんへ) | 2007.11.28 16:46

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