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2007.10.25

よろづ春夏冬中

20071025_011a タマシイにすぎないわたし。イレモノにすぎないわたし。そんな二つの自分を思うとき、ときどき抱く違和感が、ごくごく自然なことのように思われる。タマシイはイレモノを求め、イレモノはタマシイを求める。だからこそ、此処には“わたし”という存在ができあがっているのだろう。タマシイとイレモノ。つまりは躰と心。そのどちらが欠けても、どちらに重心が傾いても、この世はずいぶん生きにくいところである。14もの短編を収録した、長野まゆみ著『よろづ春夏冬中』(文藝春秋)は、タマシイとイレモノをめぐる物語である。人々はたびたび予想もしなかった物語の展開に呑み込まれ、タマシイという名の曖昧な存在に弄ばれてしまうのだ。

 物語は、ときに時空を超えて、ときに異界と交わって進んでゆく。そしていずれの物語でも、タマシイとイレモノが分離してしまうのである。いや、もともと別物だという方が正しいのだろうか。“さあねえ、タマシイの容器(イレモノ)はいろいろだからね”。この作品に収録されている「雨過天青」にそんな言葉があるように、本来自由自在にタマシイというものは彷徨することができるものなのかもしれない。死者と生者との境などもなく、あの世とこの世との境などもなく。人に限らず、物に限らず。そうして、様々なしがらみから本当の意味で自由になるとき、タマシイははじめて解き放たれるのかもしれない。この作品の読後感はそこに通ずるように思う。

 この『よろづ春夏冬中』。14もの短編を収録しているため、当然ひとつひとつの物語は短い。だが、その短さの中に、ぎゅっと濃縮されたおかしみがつまっている。読んだ直後ではなく、しばらくしてからじわじわとおかしさが込み上げるのである。もちろん、すぐさまふふっと笑ってしまってもいい。どこをとっても著者の企みは、見事に成功しているのだから。また、繰り返し読むほどに新しい気づきもあり(著者特有の日本語の美しさ、性的なニュアンス)、味わい深い短編となっていることも言い忘れてはいけない。上質な読書を堪能できたと思える一冊だった。さて、わたしのタマシイはどこへ向かうか。今日もまた、ごわごわした違和感がまとわりつく…

4167717468よろづ春夏冬中 (文春文庫 な 44-4)
長野 まゆみ
文藝春秋 2007-10

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