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2007.10.19

シメール

20071014_021 落ち入るほどに、落ちてゆく。溺れるほどに、闇は戸惑い深まる。幻想を手に入れようとする人間の愚かさ。それを嘲笑うようにして、物語はじわじわと救いの見えない展開へと進んでゆく。幻想は幻想のままにしておくべきことを、わたしたちに示すかのように…。ある一人の男の幻想が生みだした不幸を描く、服部まゆみ著『シメール』(文藝春秋)。タイトルは、妄想・空想・幻想の意味であり、別名キマイラ。ギリシャ神話の霊的な存在で、頭が獅子、身体が山羊、尾が竜の怪獣を指すそう。また、美意識の感じられる文章で読ませるこの作品は、多数の書物、絵画、彫刻が効果的に使われている。とりわけ、アンドレ・ブルトンのナジャのフレーズは印象に残る。

 6年前の火事で家などを失った木原一家。その息子・翔は、両親(とりわけ母親)の前では、火事で亡くなった双子の兄・聖を装うことを常としている。両親に愛される良い子であった聖と、大人しく本を読むのが好きだった翔。14歳の少年の心は、二つの自分に揺れ惑う。ある日、木原の大学時代の友人である片桐と花見でばったり出くわし、住まいの一部を提供してもらうことになる。美大教授としても画家などとしても成功している片桐は、木原一家にとってまるでサンタクロースのような存在だった。一方、片桐は翔という天使のような容姿の少年に魅せられ、美に恐れおののきながらも溺れてゆくのだった。どんな結末が待っているかも知らずに。

 この作品、登場人物誰もが、特定の誰かに対して過剰なまでの幻想を抱いている。たとえば、木原は木原の妻に。妻は片桐に。片桐は翔に。それが仇となって、やがて危うく保たれていた関係が崩れるわけだ。けれど、よくよく考えてみれば、わたしたちの関係性の中に、幻想のないものなど存在しない。相手のことをよく思いたければよく見え、悪く思いたければ悪く見える。美しいと思い、信じるならば、そう感じられる。それほどまでに、わたしたちの見方というものは、ひどく曖昧なものだ。だからこそ、相通ずる他者と出逢えたときの喜びたるや、言葉では言い尽くせないものがある。たとえそれが、どんなかたちであろうとも。落ちゆくさだめだろうとも。

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服部 まゆみ
文藝春秋 2000-05

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