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2007.10.28

猫風船

20071021_018 するすると陥るは夢の中か。はたまた、現実と繋がるパラレルワールドか。その狭間で迷子のようにさまよい歩く快感に溺れながら、ふいに気づく。迷えるわたしの贅沢さに。自分の今いる場所、此処という不確かさに。松山巌著『猫風船』。41もの掌篇小説は、どこかおかしな都会の日常を描いており、どれも淡く幻想的に胸をよぎってゆく。ときに不気味さを残しながら。ときにユーモアを含みながら。その語り口や展開は、連作といえども様々なアプローチがなされており、読み手を厭きさせることがない。タイトルに“猫”とあったから…という、ほんの気まぐれから読み始めた猫狂いのわたしだったが、予想外に作品に引き込まれてしまった。

 表題作の「猫風船」。これはもう、猫というよりは、じりじりと迫りくる熱を感じる作品のように思う。どこかで休みたい…そんなふうに思った先で、猫とベンチを共有することになるのだが、そこで猫が風船のように変化してしまうという話である。2ページの短い作品ながら、強烈な印象を残している。また「落書き」は、とにかく、もぞもぞっとする不快感が印象的である。毎夜、誰かの手によって、小さな文字が壁をびっしりとおおう。その不気味な光景を見ている<私>を揺るがすもの。<私>の中に確かに押し寄せる感情。そういう人間としてあるべき姿が、思うべき事柄が細かに描かれている作品。こういう作品は、とても読み応えがある。

 著者の作品を読みながら感じた、迷えるわたしの贅沢さというもの。自分の今いる場所、此処という不確かさというもの。それらは考えてみれば、ひどく日常的、かつ人間的なものである。ぐらぐらと足元を揺るがす何かがあるということ、揺らぐ自由を与えられているということ。そうして束の間、そこに溺れゆくということ。あたりまえながら、そんな贅沢な一時を、読み手であるわたしたちはこの1冊で得ることができるのである。まさに読書の醍醐味とでも言うべきか。長短様々な掌篇のアップダウンもまた、わたしたち人間そのもののようで、心憎い演出であるように思えてならない。淡くも深い幻想を、どうかひそやかにご耽読あれ。

4622073064猫風船
松山 巖
みすず書房 2007-06-16

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