砂の肖像
重ねられてゆく日々に纏わる思い出が、しっとりと、ただそこに在る。目の前に、ただ在る。封じ込めた時間の分だけ、ただ然として在る。そんな気がして、まだ見ぬ想像の石を想った。手のひらで握りしめるほどの小さな欠片に、過去のわたしを見たような心地になって…。稲葉真弓著『砂の肖像』(講談社)は、数々の石や砂などに纏わる五つの物語が収録されている一冊である。とりわけ表題作「砂の肖像」に登場する石には、ある種の執着のようなものを感じずにはいられなかった。たとえば、死への、生への執着のようなものを。そうして何かを宿した石には、特別に魅惑的な光が宿る気がするのだ。やがて光は人を呼び、その人に何かをもたらすのではないかと。
雑誌の掲示板を通じて知り合ったM氏との、通信による交流。そこで譲り受けた砂から、石から、浮かび上がってくるM氏の姿を様々に思う主人公。やがてその想像は、現実を奇妙なかたちで侵食し始めてゆく。主人公とM氏のやりとりを通して見えてくるのは、あまりに儚い人という生き物の存在と、ある種の執念・執着だろうか。この物語の中の、石というものを人に託すという行為、いや、人に物を贈るという行為そのもの自体に、わたしはひどく困惑させられた気がする。日常何気なく繰り返し繰り返されることに戸惑うのは、きっとその贈られた石そのものへの戸惑いなのだろう。その石が、特別であること。その石が、どんな物とも異なるからなのだろう。
人に物を贈るということ。そこにはきっと深く根ざす執着のようなものがあるに違いない。自分の存在を知らしめるための。或いは、生そのものへの。それらはよくよく考えてみたら、ぞっとするほどの感情の塊なのである。それを“託す”という行為に置き換えてみたら、自分の念や魂という類のものを受け取ってもらう、ということに結びつく。そして単純に、わたしは託す側にある意思そのものを美しいと感じた。受け取る側はどうであれ、自分の思いを託せる人がいるという奇跡に、それほどまでに深い関係を生涯で築けたという自信に対して、美しいと思えたのだ。わたしは石や砂を愛でることを知らない。知らないからこそ、愛でる人々の関係をこう想像する。
- 稲葉 真弓
- 講談社
- 1890円
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書評/国内純文学

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コメント
読んでいると、静寂の音がよく伝わってきました。
騒音とは違う、いのちの音が深いところから届いてくる。
そんな世界を、石で繋いで見せてくれた気がします。
僕も感想記事を書いたのですが、トラバしようとして出来なかったので、
アドレスを載せておきますね!
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/50235638.html
投稿: イソップ | 2007.09.21 00:40
イソップさん、コメント&TBありがとうございます!
静寂の音、いのちの音。なるほどなぁと思いました。
石の世界もさまざまですが、音にもいろいろあるのですね。
イソップさんの記事、ゆっくり読ませていただきます。
投稿: ましろ(イソップさんへ) | 2007.09.22 17:00