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2007.08.03

タタド

20070802_017 わたしたちは一気に決壊してしまった。心地よい波間にゆらりゆらりと身を委ね、溺れゆく貴方とわたし。もう、後戻りなどできない。この倦怠と甘い視線の交差と共に、その核心に触れてしまったから。小池昌代著『タタド』(新潮社)は、大人の官能を描いた短編集である。海辺の家に集った4人の男女の、あどけないような時間の果てにある交わり。そこに流れる、シゼル・アンドレセンの何かを滅ぼすような歌声。日常への鬱屈というもの。くらくら襲う戸惑いというもの。甘く切実な訴えは、どこまでも深く淡い官能の根を張りめぐらせてゆく。行く先など知らない。シゼルが歌っている。“I think it’s gonna rain today,”と。ただそれだけを。

 官能。いや、精神的官能と言った方がしっくりくるだろうか。この作品はとても大人である。露骨な表現は一切なく、めくるめく何かがあるわけでもない。それなのに、ひどく官能的で食い入るように引き込まれてしまうのだ。紡がれる言葉の選び方、その行間にある繊細な思いに、秘められたニュアンスを感じ取ってしまうのかもしれない。決して感情に流されることのない会話の数々は、穏やかな日常の1コマに相応しく、とりとめのないままに展開する。そこで交わされる視線は、容赦なく人をイキモノとして扱い、その目でまるごとすべてを見つめてゆくようでもある。広い意味での肯定のようなものが、始終張りめぐらせてあるかのように。

 表題作「タタド」の他に収録されている「波を待って」「45文字」にも、その官能は描かれている。波に向かってゆく背中、顔にあるしみやそばかす、いつのまにか筋肉質になった腕、肉づきのいいふくらはぎ、或いは心を集中させている姿そのものなど、イキモノの1つ1つの部位や姿にそれを感じてしまう。そもそも、“待つ”という行為自体に思いをめぐらせることが、何だかとても官能的なのだ。そして、しまいには、こうして紡ぎ出す言葉の1つにも、ゆらめく思いを傾けたくなるほどに、この作品を愛おしく思っていた。登場人物たちは皆、もう若くない。けれど、若くない分、若さにはない特別な魅力が満ち満ちているのだ。きっと、刻まれたシワの分だけ。

4104509027タタド
小池 昌代
新潮社 2007-07

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» 小池昌代『タタド』 [詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)]
 小池昌代『タタド』(思潮社、2007年07月25日発行)  第33回川端康成賞受賞作「タタド」を含む3篇。(「タタド」「波を待って」「45文字」−−「45文字」については2007年04月03日に短い感想を書いた。)  「タタド」が一番おもしろい。文体が統一されていて、すみずみまで「尺度」がかわらない。4人の男女が主人公である。海辺の家に集まる。そうして、起きるようなことが、起きる。(大庭みな子の「三匹の蟹」をちょっと連想した。)  この小説がおもしろいのは、4人が4人ともしっかりした肉体を持ってい... [続きを読む]

受信: 2007.08.05 19:53

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