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2007.08.28

うろんな客

20070811a_005 “どこか憎めない人”というのがいる。ある人にとっては、それは兄弟姉妹かもしれない。ある人にとっては、お腹を痛めて生んだ我が子かもしれない。あるいは心から愛する誰かのことかもしれないし、あるいは無二の親友のことなのかもしれない。もしかしたら、全くの赤の他人に対して、憎めない雰囲気を感じ取ることもあるかもしれない。エドワード・ゴーリー著、柴田元幸訳『うろんな客』(河出書房新社)は、うろんな、つまり怪しく疑わしい客でありながら、どこか憎めない、カギ鼻頭のヘンな生き物の物語である。はたしてこの“うろんな客”の正体とはなんなのか。ゴーリーの独特の韻と独自の緻密なモノクロームの線画に魅せられつつ、探ってゆくことにしよう。

 ある風の強い冬の晩、館に妙な闖入者が一人。声をかけても応答せず、壁に向かって鼻を押しあて、ただ黙って立ちつくすばかり。そして、今度は大喰らいで皿まで食べたかと思うと、蓄音機のらっぱをはずしてしまう。眠りながら徘徊したかと思えば、本を破ってみせたり、家中のタオルを隠したりしてみせる。そんな奇行の数々にもかかわらず、一家はその客を追い出す様子を見せない。むしろ、その傍若無人な態度に細やかなまでに注目し、そんな彼をあたたかく見守っているように映るのである。確かに、このうろんな客の容姿はとぼけているようで愛らしいうえに、憎めない雰囲気がある。どこかで見たような、よく知っているような…そんな気がしてくる。

 そう、このうろんな客とは、わたしたちのよく知る誰かに違いない。ある人にとっては、それは兄弟姉妹かもしれない。ある人にとっては、お腹を痛めて生んだ我が子かもしれない。あるいは心から愛する誰かのことかもしれないし、あるいは無二の親友のことなのかもしれない。もしかすると、飼っているペットであるかもしれないのだ。そうして、その者たちの姿には共通するものがあることに気づく。彼らは皆、無心に行動しているのである。子どもにせよ、ペットにせよ、無垢で無心な存在には手がかかるものの、わたしたちは皆どこかでそこに救いを見出している。“うろんな客”の正体は、きっとわたしたちそれぞれの中に潜んでいるあるカタチなのだろう。

≪エドワード・ゴーリーの本に関する過去記事≫
 『敬虔な幼子』(2005-11-29)
 『エドワード・ゴーリーの世界』(2005-11-30)

4309264344うろんな客
Edward Gorey 柴田 元幸
河出書房新社 2000-11

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