名づけえぬものに触れて
生きることへの切々なる繰り返し。いわば、めしを喰らって生きるということ。そういうことを、わたしはふとするごとに忘れてしまう。流れる時間に追われる脳内にただあるのは、生きることの価値だとか、その意味だとか。どれほどの言葉を使っても言い尽くせないそれらが、漠然と何を肯定し何を否定するかにかかっている気がするということだけだ。なかなか表現するのが難しい微妙なこころのニュアンスと共に。その振り幅を思えば、誰もがすべての側に属し得ることは逃れようもなく、客観的に自分が属するものを見抜くのは意外にも他者のみかもしれないなどと思うのだった。人間とは、なんと困難な生き物で、なんと素晴らしいものか。考え出すと、ふつふつとなる。
柳美里著『名づけえぬものに触れて』(日経BP出版センター)は、著者の亡きファンの遺志を引き継ぎ紡がれた言葉たちの詰まった1冊である。元々はブログだった文章には、ときに苦しみ、悲しみつつも、日々のささやかなことに懸命になる姿が、満ち満ちている。そして、そこには常に今を生きる者、生きようとする者、息づく力を感じずにはいられない。言葉は魔物とはよくいったのもので、ここには常に蠢きまわる言葉の断片がいくつも見受けられる。そのはっとするような生命力に、はらはらとなりながら愕然とすらするほどに。死者と寄り添いながらも、なぜここまで生き生きと感じるのか。その不思議に、わたしはしばし躊躇ったくらいだ。
そして、嗚呼とわかる。きっと、ページの端々で死を哀しみ、悼み、惜しみ、悔やみながらも、書くことを止めない、止められない、著者の姿に目を奪われるのは、著者にとって“書く”=“生きる”だからに違いないと。その、あまりに真っ向から立ち向かうしかない正直すぎるゆえの生き方は、生々しいほどまでにもすとんと届いて、胸にいつまでも響いてくるのだと。ただし、こちらが生半可な気持ちでいる限り、その微妙なニュアンスの受け取り方は異なるだろう。たかがブログ本。されどブログ本。なかなかどうして侮れない存在のこの1冊は、いい意味合いで読み手を選んで逃がさない。こうして読める機会に恵まれたわたしはとてつもなくラッキーである。
- 柳 美里
- 日経BP出版センター
- 1575円
書評/エンタメ・タレント
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