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2007.07.02

セメント・ガーデン

20070520_012 明けない夜がないように、醒めない夢はない。子どもの頃に憧れた楽園も、ある種の酔いが冷めてしまえば、何てことはないのと同じように。社会的コントロールが解かれた状況を描いた、イアン・マキューアン著、宮脇孝雄訳『セメント・ガーデン』(早川書房)は、両親が相次いで亡くなり、不意に自由を手に入れた子どもたちを描いている。ここでの子どもたちは、どこか感覚を麻痺している。時の流れ、生活というもの、他者との関わり合いなど、生きる上で重要なことを忘れてしまっている。なおかつ、罪の意識は全くと言っていいほどないのである。無法地帯と化した大きな家の中で、道徳的判断を停止したままの子どもたちは、それぞれに変化してゆく。

 荒れ果てた郊外の住宅地に一軒だけ建っている。地下と2階のある大きな家だ。周囲には取り壊された家々の跡が広がり、隣人はいない。その家で体の弱かった父親、続いて母親が亡くなり、残された4人の子どもは、施設に入れられたりばらばらにされたりするのが嫌なあまり、母親の死体をコンクリート詰めにして地下室に隠し、子どもだけで暮らし始めるのである。語り手の少年は自慰にふけり、妹は部屋に閉じこもって読書と日記に耽り、幼い弟は赤ちゃんがえりをし、長女は一人だけ先に大人になってゆく。自我も超自我も混沌とした未分化な状態の彼らが、あらぬ方向へと速度を上げて進んでしまう様子は、ページをめくる指を止めさせない。

 この物語。冒頭に述べたように、ある種の楽園から酔いが冷めるまでの様を描いている。ここで言うところの楽園は、罪の意識のないままの無邪気な幸福感を確認するためのものである。だが、その楽園の庭はいわば、セメント・ガーデンであり、一時の至福の後に花がしぼみ、水が涸れ、あっという間に朽ちていってしまうのである。秘密を守りきろうという強い思いもなく、それぞれがそれぞれに自由気儘な時間を過ごしたゆえの誤算なのか。それとも、罪は罪としていずれは明るみになってしまうものなのか。やはり、明けない夜がないように、醒めない夢はないのだろうか。子どもたちの行き先がどうなってしまうのか、実に気になるところである。

4152082674セメント・ガーデン (Hayakawa novels)
Ian McEwan 宮脇 孝雄
早川書房 2000-03

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コメント

はじめまして。

セメント・ガーデンは青春小説の、傑作だと思います。
子どもたちは兄弟・姉妹以外とはコミュニケーションが取れないないんだ、と僕は思いました。だったら、どうやったら子どもたちを救えるんだろう、と、ときどき思います。

また、マキューアンは『贖罪』が大傑作だと思いました。おこがましいですが、こちら、おすすめです(以前の記事ですこしふれられていたようですが)。

トラックバック、させていただきました。あるブログの書評からほかのブログの書評へかんたんに飛んでいける、そういう空間がつくれたらいいな、と最近、思っています。なのでこれからもちょくちょくトラックバックさせていただくかもしれません。よろしくお願いします(もしご迷惑なら、遠慮なく、おっしゃってください)。

投稿: キズキ | 2007.07.02 20:31

キズキさん、はじめまして。
コメント&TBありがとうございます!
深いところまで読んでらっしゃるようで、
なんだか申し訳ないです。。。

マキューアンの『贖罪』。やはり大傑作なのですね。
あの分厚さが気になってなかなか手を伸ばすことができないままですが、
そのうち自館に余裕があるときにでも、トライしたいと思います。
わたしもそちらにお邪魔しますね。

投稿: ましろ(キズキさんへ) | 2007.07.04 05:35

先日イアン・マーキュアンの唯一の児童書「夢見るピーターの七つの冒険」という本を読みました。
ほのぼのした話で、どういう方なんだろう、と思ってこの「セメント・ガーデン」を図書館で借りたら、すごく怖いホラー映画みたいな写真が載っていました。
また、読んだらお邪魔します。

昨日のコメント有り難うございました。
ましろさんはブログを書くとき立ち位置について迷ってないのですね。
頭の中で、登場人物が作品にないことを喋ったり、動いたりすることはありませんか?

投稿: 牧場主 | 2007.08.04 12:46

牧場主さん、コメントありがとうございます。
イアン・マキューアンの児童書があるのですね!
知らなかったので、今度手にとってみようと思います。
ありがとうございました。

“頭の中で、登場人物が作品にないことを喋ったり、動いたりすること”、
わたしもよくありますよ。物語に浸りすぎてしまっているせいでしょうか。
一番困るのは、夢の中で勝手に文章を紡ぎ出すこと、だったりします。
PCに打ち込んでくれると、有難いのですけれど…(笑)
なかなかうまくゆかないものですネ。

投稿: ましろ(牧場主さんへ) | 2007.08.04 21:06

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