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2007.05.11

あめふらし

20070509_002 魂。その意味とは、肉体に宿って心の働きをつかさどるもの、霊魂、精神、心、気力…なんていうふうに辞書は説明するが、思えばわたしは魂というものをどこかで避けてきた気がする。心臓と脳。これである意味事足りる、くらいに。そんなわたしがふらふらっと手にした、長野まゆみ著『あめふらし』(文藝春秋)は、戒めるべくそこに存在していたかのようだった。この著書は、タマシイをめぐる者たちが登場する物語。タマシイを支配する者と、支配される者。そのなんとも不可思議な従属の日々というもの。時代を超えて、幻想的に風情豊かに描かれる世界が展開してゆくのである。決してとっつきやすい文体ではない。なのに、するするとはまってゆくわたしがいた。

 物語は、いわゆるなんでも屋であるウヅマキ商會を営む橘河と、その橘川にすべてを拾われた経歴を持つ番頭の仲村、橘河にタマシイを拾われて従属の日々を強いられるアルバイトの市村を中心に展開される。市村が生きていられるのは、橘河にタマシイを掴まえられているから。つまりは、今ある躰は仮の姿。そこに宿ったタマシイというのを、強引にコントロールされているゆえに、橘河のところで働いているのである。しかも、このウヅマキ商會の仕事の裏には、何やら妖しい影があちこちにあるのだ。儲かる商売でもないのに、都会の一等地に事務所を構えている上に、場面によっては隠語も多用されており、性的な妖しさも物語を盛り上げている。

 わたしは読みながら、あからさまな性的描写よりも、なぜかこちらの隠語の方が、余計にいやらしく感じてしまった。風情があって、情緒があって、なのに赤面するほど恥ずかしい。こういう描き方があるのか、と感心しつつも照れまくってしまった。また、この著者の作品の特徴的なテーマである、男性同士の色恋もちらほら。かといって、流行りのボーイズラブとは、全く趣が異なる点にも注目すべきだろう。とりわけ、古き良き時代の日本を感じられる文体というものは、格別であり、著者の力量を感じさせる作品となっている。ちなみに、表紙カバーのイラストを描いたのも著者。この美しい世界観には、ため息が思わず洩れてしまう。手に取って、うっとりする一冊だ。

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長野 まゆみ
文藝春秋 2006-06

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コメント

こんにちは。 銀河改め銀河☆です。
相変わらず、文字を絨毯のように敷きまくってますね。
間接的な性的表現は私も好きです。(あっ。好きとはおっしゃっていませんね。失礼!。)
直接表現より想像力がさりげなく働いてくれるので、そこに情緒が生まれるのかもしれません。

魂とかの話も大好きです。肉体は滅んでも魂は不滅であると言われてますが、問題は魂は記憶を維持してないところでしょうか。
でも、そのおかげでリセットされて新たな人生を歩むことが出来るのかもしれませんね。それこそが魂の救いだったりするのかもしれませんね。
(私は宗教家ではありません。念のため。)

投稿: 銀河 | 2007.05.12 00:52

銀河☆さん、コメントありがとうございます!
いやいや間接的な性的な表現は、わたしも好きですよ。
あくまでも“表現が”ですけれども…(念のため、笑)

銀河☆さんは魂のお話、お好きなのですね。
わたしはどうも読み慣れないせいか、少々混乱中だったりします。
この作品はいわゆる“あやかし”の世界のものらしくて、
同じ登場人物で他の作品も出ているようなので、
もう一度あやかしの世界を堪能してみようと思っています。

投稿: ましろ(銀河さんへ) | 2007.05.12 14:48

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