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2007.05.07

六〇〇〇度の愛

20070507_033 ここに、或る渇きがある。一個人の、過去、現在、そしてその先も続くだろう渇きが。彼女は虚像と同じよう。母親の溺愛の対象である亡くなった兄が、実像だったのだから。この渇きはきっと、虚像だけが残ったゆえのもの。過去を過去とできない彼女の中で、渇きは長崎と繋がる。あの日、そう、悲惨な歴史となった、あの原爆の記憶と。鹿島田真希著『六〇〇〇度の愛』(新潮社)は、ひとりの女の抑圧された記憶と、女とはゆかりのない土地を直結して解く作品である。主人公の女を、どこか滑稽に思わせるくらいに冷ややかな筆致は、“長崎と女”という唐突な構図を深めてゆくようでもあり、女一個人の過去というものの重みを、ひしひしと読み手の心に伝えてくるようでもある。

 一見、何の不自由もない暮らしをしているように思える、主人公の女。夫と幼い子どもとの、三人暮らしの団地住まい。それを揺るがすのは、女の過去と今ある渇きだった。原爆のキノコ雲を“美しい”と感じてしまう女は、そんな自分に疑いを感じ、より悲惨なイメージを自分の中に刻み込むため、長崎へと旅立つ。誤作動した非常ベルをきっかけにして。旅先で出会うのは、ロシア人と日本人のハーフの正教徒の青年。聖人にちなむ名を隠そうとする青年に、女は自分と似たものを見出し、ふたりの距離は縮まってゆく。だが、死と近づいた女を青年が戒めたとき、その関係は変化してゆくのである。似ているという直感からくる思いから、対峙する関係へと。

 この物語。唐突のようで、タブーとするものを匂いとして潜めたり、重たい事柄をさらりと描いたりしているところが、絶妙である。流れるように進む物語の展開に身を委ねて、あくまでも読み手であることに徹することができた気がしている。一個人としての時間、歴史的時間、宗教的時間のそれぞれが絡み合い、結びつき、ときには或る一定の距離を保って流れるのが、なんとも心地よく感じられた。女の“渇き”の行く先を、はじまりからお終いまで、堪能できる。どうやって、女がその歴史を認めてゆくのか。或いは、これから先をどう生きてゆくのか。わたし自身の歴史や、今ある渇きと結びつけて、思考せざるを得ない作品と出会ってしまったと思った。

4104695025六〇〇〇度の愛
鹿島田 真希
新潮社 2005-06

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コメント

 戦場に派遣された特派員が、発射された砲弾が地上で破裂したときに尊い生命が失われてしまうのを十分承知しながらも、「花火のように美しい」という感想を述べてしまう。
 イラク空爆のときに、ブラウン管を通してみた特派員の言葉には、嘘や偽りは感じられませんでした。その数日前に、同じようにイラクに派遣された外国特派員が、帰らぬ人となっていたにも関らずです。
 絶望的な状況にあっても美しいと感じてしまう人間の感性。そこから何か教訓を引き出すことが出来るというものではないと思いますが、何かを考える端緒となる気がします。

投稿: るる | 2007.05.08 11:21

るるさん、コメントありがとうございます。
そうですね。何かを考える端緒になると、わたしも思います。
この作品では、一般的に非常識であるとされる事柄を扱っていますが、
それでも物語として読んだとき、嫌悪感は不思議となかったのが印象的でした。
それがもし、風化というものなら、見つめ直す必要があるのでしょうが、
風化してしまったからこそ見えてくるもの、というのもある気がしています。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2007.05.10 19:01

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