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2007.05.26

ゴットハルト鉄道

20070526_016 文字に貫かれる、少女の影。文字の渦は、<わたし>という概念を揺るがすように大口を開けてくる。幻想と現実の境界の曖昧さに呑み込まれながら、<わたし>のイメージは変化し続けるのだ。その間きっと、想像もつかぬようなことが起きているに違いない。だから、襞と襞をぐっと押し分けてその中に溶け込む。いや、同化しようと努めてみる。わたしのいる場所と、いない場所。本当は、ただそれだけのことなのに、思考せずにはいられない。これは、たぶん日常という無意識の営みへのささやかな抵抗でもある。さあと両手を拡げられて、何の自覚もなしに飛び込めるほど、わたしはもう若くない。それでも、少女という器をいつまでも捨てきれずにいるのだ。

 多和田葉子著『ゴットハルト鉄道』(講談社文芸文庫)は、微妙な身体感覚を捉えている。ヨーロッパの中央にある、山塊ゴットハルト。その長いトンネルを列車で旅することを“聖人のお腹”を通り抜ける陶酔と感じながら、主人公<わたし>のどこまでも揺らぐ心情と寄り添うことができる。国境も生も性も、何もかもの既成概念を覆す展開は、文字の渦に呑まれるに最適だ。とりわけ、日本の国旗を、“まわりから孤立して、自分をこっそりと世界の中心に据えた島の自己欺瞞”と表現したあたりにぐっときた。それはお国柄と言うよりも、異国での<わたし>という存在に近しい気がする。そして、主人公はなおも“閉じこめられたい”という感情を吐き出すのだ。

 次に収録されている「無精卵」でも、この姿勢は貫かれているように思う。女は閉じこもるようにして暮らし、できるかぎり他者を拒絶して自分の世界に入り込む。突然現れた、正体のわからない少女は、まるで満たされずに生きてきてしまった女の自己投影のようでもあり、ときどきその性的な欲望に対して思わずぞっとしてしまう。女は日々、ひたすら文字を連ねることを自分に課し、少女はそれを夢中になって模写してゆく。その狂わんばかりの作業は、周囲の人々にとっては脅威のように映っていたのだろうか。なんの利益も名誉も求めないもの。その衝動にはっとさせられつつ、ある種の恐怖さえ感じる展開だ。書かずにはいられない女の、日常への抵抗の物語である。

 最後に収録されている「隅田川の皺男」。マユコという得体の知れない女性が、見知らぬ地区の襞を押し分けるようにして彷徨ってみたいという願望を描く物語である。細い路地をさらに細い方へと、皮膚のぬくもりが感じられるまで。たどり着いた街では、女は皆自分が得ることができるものとそうでないものを確かめに訪れ、少年たちはその要求に応えるべくして仕事をするのだった。マユコは行く先々で霊的な存在感を放つ皺男に遭遇し、その肌に魅せられてゆく。皺に対する執着はやがて地区の襞と重なり、自分のいるべき場所とそうでない場所を自覚してゆくことになる。これもある意味、(地区に)閉じこめられたい、閉じこもっていたいという心理を思わせる物語だ。

4061984020ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)
多和田 葉子
講談社 2005-04

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コメント

はじめまして。
私も猫と本が好きです!
写真かわいいですねぇ〜。
また訪問させていただきます。

投稿: *yuka* | 2007.05.29 01:06

*yuka*さん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
写真はなかなか上達しないのですが、
猫の可愛さにずいぶん助けられているような気がしています。
ぜひ、またいらしてくださいませ。

投稿: ましろ(*yuka*さんへ) | 2007.05.29 15:38

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