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2007.05.05

EXIT

20061121_011 超えられそうで、超えることのできない一線を思って、ほんの少し安堵する。かといって、超えてしまった人たちを遠い世界の人だとも思えない。日常の中にごろごろと転がっている境界線は、イエスともノーとも教えてくれないのだ。そうして、どっちつかずの曖昧なわたしに対してこの世界は、ひどく生きづらいことだけをご丁寧に解説してくれている気がする。雨宮処凛著『EXIT』(新潮社)。この作品には、そんな生きづらい女の子たちの姿を生々しく描かれている。いわゆる(世間が言う)メンヘラーという部類に入る、彼女たちの闇、或いは病みっぷりに頷けるかどうかは別にして、人間として、その悩める姿が、なんとも愛おしい存在に思えたのだった。

 あるネット上の自傷系サイトを熱心に読むうちに、観客でいられなくなった、語り手であるともみ。彼女は、自分の行き場のない日々を思って書き込みだけではなく、ジジョ(自助グループ)にも参加し、リアルな交流を深めるが、どことなく違和感を覚えたままでいる。あるサイトの管理人だった少女が亡くなってしまってから、その死をめぐって様々な余波が残ってしまう。どうにも止められない影響は、他のサイトにも飛び火し、ともみの感じていた違和感はさらなる深みにはまってゆく。悩める者たちの思考は、泥沼のようになってしまうが、その泥沼に飛び込めないともみは、疎外感と違和感、悪意なるものを持ち始め、両極端な感情をネット上に吐き出してゆく。

 この作品で印象的なのは、自分の存在を誰かに肯定して欲しい、誰かに自分のことを覚えていて欲しい、そんな切実な願いだ。生きることも死ぬことも困難で、ネット上で繋がっている人はいるけれど、それだけじゃ、物足りない。リアルな関係で繋がって、自分のことを理解して(どれほど辛いか、等)、まるごと全部愛して欲しい…というような。こうして文字にしてみれば、求めるばかりの戯れ言になってしまうだろうか。でも、この作品を読んでいると、その感情が彼女たちにとっての生きる意味であり、手段であり、唯一の救いのように思えてくる。何も彼女たちは、多くを望んではいない。ただ、生きやすい世界を1つだけ欲しいのではないか、と。

4104638013EXIT
雨宮 処凛
新潮社 2003-11-15

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