ラピスラズリ
時がほどけて、季節が目覚めて、わたしたちが呼吸して。そうして物語は、ゆるやかに語られてゆく。行き着く場所など知らずに、ひそやかにうねりながら。そう、その行く先。つまりは、物語の結末というもの。山尾悠子著『ラピスラズリ』(国書刊行会)には、それがないのだ。もちろん、ページに終わりはくる。けれど、物語のはじまりと、終わりとが、数珠繋ぎのごとくに結び付き合っているのである。永遠に終わらない物語の余韻は、まるで読み手の心を知っているように、続く。どこまでも続く。その果てしなさ。そして、その美しさというもの。言葉では言い尽くせない何とも心地よい雰囲気が、じわりと残るのだった。この幻想の世界は、しばし現実から遠ざかるに最適だ。
この作品。連作長篇小説となっており、「銅版」「閑日」「竈の秋」「トビアス」「青金石」の5つの物語それぞれに、共通するモチーフがいくつか登場している。人形と冬眠者と聖フランチェスコ…と、挙げてみるだけで奇妙な雰囲気が漂ってくる。中でも、一番はじめに収録されている「銅版」の印象は強く、三枚の銅版画に対しての謎解き的な解釈が、とても面白い。“タイトルをお知りになりたくはございませんか」という画廊の店主の言葉に導かれるままに、銅版画に描かれた光景にふとするりと入り込んでしまっている自分に気づく。その心地よくも不気味さを秘めた、美しくて残酷なる世界に浸ること。それは、幻想小説ならではの、極上の楽しみと言っていいだろう。
わたしはこの物語を、三枚の銅版画に描かれた光景の物語として読んだのだけれども、読み方はたぶん無限に存在するのだろうと思っている。結末のない物語は、どんな解釈をも受け入れる余白を残してくれているから。例えば、まどろむように読み耽って、しばし現実を忘れる。例えば、身も心も物語の流れにまかせて、ずんずんと読む。或いは、この物語自体の謎を解き明かしてゆく。それもまた、ひとつの読み方に違いないのだ。これは、読み手に与えられた自由の分だけ、読み方のある本。どんなふうにでも読める本。なおかつ、乱雑にならずに、しっとりと気品を持ってここに存在する。ささやかだけれど、美しい奇跡のような事実。そして、現実なのだ。
![]() | ラピスラズリ 山尾 悠子 国書刊行会 2003-10 |
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