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2007.04.04

ルーガ

20061224_041 或る境界を思うことがある。例えば、生と死、幸福と不幸の境界。そして、そこに根ざす、人間の持つ感情。ある種の狂気。恍惚…みたいなものを。あたりまえの日常の中に横たわるそれらは、わたしたちをいつだってどこかへ導こうとしているのだ。けれど、導かれてゆく人は極めて少ない。少ないからこそ、わたしたちはきっと、二次元的なものに、そういうものを求めてしまうように思う。小池昌代著『ルーガ』(講談社)は、まさにその境界を描いている。何気ない日常。その中に、どっと押し寄せる危うさ、人間の持つ奥深い感情の動き、鮮明に残る光景を、選び抜かれた言葉で紡がれているのである。このタッチは繊細だ。そして、心に染みゆく。上質な読書だったと素直に思えるのだった。

 表題作「ルーガ」。ルーガとは、ミシンの名前(2000系ルーガ)のこと。ある時ふと、ミシン熱が再燃してしまった蜜子。とりわけ、手先が器用というわけでもなく、大作を作れる腕もないのに、既にミシンを持っているというのに、ミシンの購入に走り、無心になってミシンに向かう、孤独な女の物語である。47歳、独身、恋人なし、スーパー勤めという、なんともぱっとしない人物だ。彼女はやがて、ミシンに取り憑かれるように、なりふり構わぬようになり、或る境界を越えてしまうことに…。その、ぞぞっとした感覚が、たまらなく印象的な作品である。そして、この作品に始終漂う、救いのない孤独が、妙に心地よくもあるのだった。恐るべし、ミシン。ミシンを侮るなかれ。

 続いては、「ニギヤカな岸辺」。月末の日曜日に、川辺へ行く話である。そこまでに至る、様々な細やかなエピソードが、次々と語られてゆく。人と人との奇妙なる出会いが絡み合い、結びつく。そんな当たり前のことが、なんだかとても微笑ましい。また、妊娠中の山子の心情というものの変化にも、目が離せない展開である。とりわけ、幸福というものに関する思考は、妙にはっとさせられた気がする。現実を構成するのが、退屈や不安や不幸であること。その合間に明滅する奇跡のような錯覚が、幸福ということ。言われてみれば、確かにわたしたちの日常はそんなものである。そして、ふと思う。錯覚でも何でもいい。わたしがわたしとして生きられるのなら、と。

 最後の「旗」。この物語は、幻想的な雰囲気が始終漂う。明け方前に、男女が連れ立って海に向かう話である。恋人でもなければ、友だちとも呼べないような、そんな2人の関係は、どことなく互いを探り合うようでもあり、遠慮し合うようでもあり、いい緊張感がある。脚が不自由で杖をつく葉子と、なかなかいい声をした青石。だが、2人の前に立ちはだかる世界は、どことなく忙しく、誰もまともに彼らを見てはくれない。もちろん、話も通じない。海も遥か遠くに在るようでもある。それでも、海までの道々、2人の話は愉快に弾み続ける。ときには悲しみを帯びながら。そうして読後に漂う雰囲気は、いつまでもじわじわと心に残るよう。寄せては返す波のごとく。

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小池 昌代
講談社 2005-11-01

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